
蓋向は、器全体に絵付を施してあるほうが美しく映えます。
雅膳の一皿は、「高麗色絵松竹梅絵蓋向」で青一色の松竹梅ですが、縁取りを金彩で加飾してあるので華やかになります。蓋のついた器を蓋物といいます。
蓋向は、器全体に絵付を施してあるほうが美しく映えます。
雅膳の一皿は、「高麗色絵松竹梅絵蓋向」で青一色の松竹梅ですが、縁取りを金彩で加飾してあるので華やかになります。蓋のついた器を蓋物といいます。
雅膳の一皿は、「焼締角皿」で真鯛の塩焼きです。焼締の皿は、使用前にたっぷりと水に浸しておくと一段と奥深い雰囲気が出ます。これは丹波焼で、使うほどに素朴さの中に柔らかさが出てきます。
焼締は、釉をかけずに約1200~1300℃の高温で焼成した陶器で、締焼きとも言います。陶磁器の粘土は素地に含まれる長石が高温で焼かれることで液状化し、ガラス質に変化して釉の代わりとなります。これを自然釉といって灰釉のことです。
窯は本来、登り窯や穴窯を使用します。燃料は薪や藁でその灰も灰釉となります。焼成後の素地は、水を通さない等陶器に近い性質を持ちます。六古窯の信楽、丹波、越前、常滑などでは、緑色の自然釉が流れるほど高温で焼きしめられています。
1月30日から七十二侯は、「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」で二十四節気「大寒」の末侯。鶏が春の気を感じ、卵を産み始める頃という意味です。
「大寒」は、冬の最後の節気であり一年で最も寒い時期です。厳しい寒さは、まだまだ続きますが太陽は少しずつ力強さを増しています。生き物たちは敏感に春の気配を感じ、目覚めの準備をしています。この頃、梅の名所から白梅紅梅の開花状況が届くようになります。宇奈月は未だ蕾硬し。
ロビー階の一角に梅を題材にした絵画を展示しています。小泉智英の「春きざし」で静寂な竹林を背景に、古木から延びる梅ヶ枝を捉えています。氏は福島県小川町の出身で、身近にある風景を独特の視線や緻密な筆遣いで、精神性の高い作品に仕上げています。自然が生み出す四季折々の風情を、凛と張り詰めた空間の中に表現しています。
ギャラリーでは安田靫彦「春到」、横山大観「旭日」、小林古径「竹林」等も展示しています。
灰釉とは、草木の灰を原料として長石、陶石、粘土などを配合した高火度釉です。釉の主成分になる原料の長石、石炭、カオリン、珪石のうち、石炭と珪石を植物の灰に求めたものをいいます。焼成すると溶融してガラス質の釉となります。
中国では殷代に作られ後に青磁の釉へと成熟します。さらには灰釉から黒釉や白釉が作られました。日本では平安時代の9世紀に、愛知県の猿投窯が中国の越州窯青磁を手本に灰釉を開発し、さらに古瀬戸などへ発展します。桃山時代には陶技も進歩し、灰釉は美しい釉として茶人の評価を得ます。江戸時代には民窯の定番となり、大正末年には民芸という美術として人々の認知を得ます。
土灰に長石を混ぜた灰釉は、還元焼成で透明性の緑色を呈し、酸化炎で透明性の褐色を帯びます。これは原料に含まれる鉄分による呈色です。また灰釉には呈色剤を加えて各種の色を表すことができます。緑の織部釉は銅呈色の灰釉のことであり、褐色の飴釉は鉄呈色の灰釉のことです。藁灰による白濁釉は海鼠釉ともいわれています。
雅膳の一皿は、「灰釉四方平向付」です。大き目の器でも、灰釉独特の味わいと貫入の美しさが味わえる優しい器です。
延楽「雅膳」の揚げ物の一例は、車海老高煎揚です。大根餅を添えて。雪の季節は赤い色合いの器が映えます。季節の器は、「乾山写寿見込向附」です。
尾形乾山は、寛文3年(1663)京都の呉服商尾形宗謙の三男として生まれ、兄は画家の光琳です。野々村仁清に陶芸を学び、元禄12年(1699)37歳のとき京都市右京区鳴滝泉谷に鳴滝窯を開窯しました。そこでは色絵、銹絵、銹絵染付の茶道具や食膳器を主体とし、角皿、変形皿、茶碗、火入、香合などが作られました。乾山移転に伴って工房は洛西鳴滝、洛中二条丁子屋町、江戸の入谷村の三カ所に設けられ、それぞれの窯で作られた作品を鳴滝乾山、丁子屋町乾山、入谷乾山とよんでいます。
乾山焼の伝統は、有名無名の京焼の陶工たちにより、写しとして現在へと受け継がれています。
落ち着いた色合いの染付の小鉢は、「染付霊芝唐草八角小々鉢」です。蟹味噌を入れるのに、都合のいい器です。
描かれている霊芝は、食すと不老長寿を得られる吉草であることから、中国陶磁に図案としてよく使われています。牡丹や松と同様古来より馴染み深い吉祥の印で、明王朝では、霊芝雲と五爪龍の複雑な組み合わせは、宮廷文様として重視されてきました。
紫交趾は、交趾焼のうち紫釉が主調となった三彩陶磁です。交趾焼きには磁胎と陶胎があり、高火度焼成の素焼きの生地に鉛釉系の色釉(黄・緑・青・紫)を掛けて低火度で焼成します。紫の強い交趾焼きは、中国では華北の窯で作られた陶器の特色となっています。
もととなる三彩は、日本では桃山時代に復活し、京都の楽焼が交趾焼きと呼ばれるようになりました。江戸中期、後期には、交趾三彩、康煕三彩に学んで三彩を焼いています。京都の永楽保全はその代表格です。
雅膳の一皿は「紫交趾菊形」で、紅津合蟹の赤が良く映えます。永楽妙全の作品です。
積雪が多くなると、野菜を雪の下の土に埋めて保存します。寒さで根菜類の甘みが増します。冬野菜の含め煮です。季節の器は、「黄瀬戸角向付」で、表千家家元・惺斎好みです。隅切りになっています。
黄瀬戸は、桃山時代に美濃で作られた黄色の焼き物です。加藤唐九郎は、黄瀬戸を平安時代から近現代まで続く灰釉陶全体として捉え、古い順に瓷器手、ぐい吞み手、菖蒲手、菊皿手と分類しました。菖蒲手が最盛期(桃山時代)の黄瀬戸で、油揚肌や胆礬や鉄彩による加飾の技法が加えられます。ぐい吞み手は、菖蒲手よりも古くて厚手で、彩調も光沢もあります。菊皿手は最も新しく、江戸期から現代まで続きます。唐九郎は古窯跡から出土する陶片と語りながら、分類をしたのではないでしょうか。
1月25日から七十二侯は、「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」で二十四節気「大寒」の次侯となります。沢に氷が厚く張りつめるほど寒い頃と言う意味です。水はいよいよ冷たさを増し、1年の内で最も寒い時期となります。この頃は大陸からの強い寒気が入りやすく、記録的な大雪や最低気温をもたらします。
寒の内に汲んだ水は、「寒の水」と呼ばれ細菌が少ないのでお酒を仕込むのには最適です。寒仕込みの酒は、きめ細やかですっきりとした味わいに仕上がります。大吟醸はこの時期を選んで仕込まれ、3か月を経て出荷されます。日本酒の仕込みが、最盛期を迎える時期となります。
この時期は、厳しい寒さの中にも太陽は少しづつ力強さを増し、三寒四温を繰り返しながら季節は確実に春に向かっていきます。生き物たちは敏感に春の気配を感じ取り、目覚めの準備を始めています。
雪が降ると、雪笹をモチーフにした器を使うことが多くななります。富山湾の旬魚の味も冴え、刺身が一段と美味しくなります。
季節の器は「仁清色絵雪笹戸〆長方向付」で、幾分かは大きめの器なので、少し多めに盛るのには適しています。戸〆とは戸を閉めた形で、面と面が重なったように見える形状です。見込みに雪笹が大きく絵付けされています。