天人草(テンニンソウ) シソ科

<大形なので目立ちます>

天人草(テンニンソウ)は、宇奈月の山中の木陰に群生する、シソ科の大形の多年草です。

茎は直立して50cmから100cmぐらいになり、葉は長楕円形で対生し、鋸歯縁で両端は尖っています。花は、淡黄色で茎頂に細長い花穂をつくって、密につきます。4本のおしべと1本のめしべは、花柱とともに長く花外に付き出でています。

白鬚草(シラヒゲソウ) ユキノシタ科

<レースで作られたような花を咲かせる白髭草>

白髭草(シラヒゲソウ)は、宇奈月の山地の湿った陰地に自生するユキノシタ科の多年草です。今年も限られた場所にひっそりと咲いています。かつては林縁でよく見かけましたが、最近は絶滅に近い状況です。

葉は、やや丸いハート型で茎を抱くようについています。茎は分岐することなく直立で、茎頂に白い花を1個つけます。和名は、白い5個の花弁の縁が、糸状に細裂している形状を白髭に見立て、白髭草と名付けられました。

可憐でレースのように織り込まれた複雑な白い花。その自然の造形美に魅了されます。

玄鳥去(つばめさる)

<田渕俊夫:令和2年院展出品作>
9月17日から七十二侯は「玄鳥去(つばめさる)」で、二十四節気の「白露」の末侯にあたる。春に日本にやってきた燕が暖かい南の国へ帰る頃という意味。 19日は秋彼岸の入り。暑さ寒さは彼岸までの言葉通り、燕の渡りが始まる。燕がやってくるのは七十二侯の「玄鳥至(つばめきたる)」で、今年は4月4日だった。宇奈月温泉で飛び交う燕は、岩燕で尾羽が短くやや小型である。 

岩燕が去る頃、温泉街では毎年、宇奈月モーツアルト音楽祭が行われる。昨年は9月14日から16日の3日間行われ、温泉街がモーツアルトの調べに包まれた。豊かな自然に恵まれた、山あいの出湯ならではの情緒である。今年は残念ながらコロナ禍により中止となる。

 セレネ美術館では昨年、田渕俊夫画伯の展覧が、10月14日まで開催された。田渕画伯は、昨年の「大嘗祭の大饗の儀」で披露された悠紀地方風俗歌屏風・春夏・秋冬を描かれ、今最も注目されている画家である。日本美術院理事長の要職に在り、研ぎ澄まされた感性で宮中にふさわしい貴賓ある風景画を制作された。今年の院展出品作は、その奉納作品の構図である。雄大な滝と桜が押し寄せてきます。

今年の展覧会は、昨年明治神宮の内陣に収められた屏風を制作された手塚雄二展を企画していたのだが、これもコロナ禍で中止となる。来年はぜひ実現し、質の高い芸術作品に触れていただきたいと願っている。これからは徐々に秋が深まり、月影さやかな好季を迎える。

草露白(くさつゆ しろし)

<萌黄色の最も美しい季節をとらえた院展出品作品>

9月8日から二十四節気は「白露」となる。朝晩の気温差が大きくなると露が降りるようになる。暦便覧には「陰気ようやく重なり露凝って白し」と。夏の気配を残しつつも朝夕は涼しくなり、草花に朝露がつくようになるという意味。

七十二侯は「草露白(くさのつゆ しろし)」で、「白露」の初侯。草に降りた露が白く光って見える頃という意味。早朝に僧ヶ岳の登山道を行くと、草露に足下が濡れる。白露に濡れた紅紫色の秋桐や釣舟草が心に残る。

昨年、黒部峡谷・セレネ美術館では、令和記念特別展として田渕俊夫画伯の至極の日本画展を開催した。出品作品の中に黒部川扇状地をとらえた大作「大地」があった。1998年の院展出品作である。残雪が未だ多い後立山連峰。新緑の美しい山の端。田圃に水が張られた田植え時期。5月末の黒部平野の風景である。黒部の生命の息吹が最も感じられる季節に、ヘリコプターを使って扇状地を取材した作品である。

今年のセレネ美術館では、黒部の水をテーマに創作された田渕画伯の作品が常設展示されている。芸術の秋にふさわしい作品群である。

仁清色絵秋草絵向付

<風にそよぐ宇奈月の山の秋草>

おわら風の盆が終わると、宇奈月温泉の周辺の山は秋草がそよぐようになります。今年のおわらは、コロナ禍で中止となり寂しい限りです。宇奈月平和観音像が建立されている、大原台公園の直下は、すすきの海原です。登山道には山萩の花が一面にこぼれ甘い香りが漂ってきます。

雅膳の一皿は、「仁清色絵秋草絵向付」です。秋の彩が楽しめる器です。何が盛り付けられるかは当日のお楽しみです。

禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<おわら風の盆:坂の町を照らす西町のぼんぼり>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのものすなわちみのる)」で、二十四節気「処暑」の末侯にあたる。禾の文字は、植物の穂の形からできており豊かな実りを象徴する。稲穂が膨らんで黄金色になる頃という意味。

立春から数えて210日目にあたるこの時期は、「二百十日」と呼ばれ台風に見舞われやすい。そのため越中八尾では風害から農作物を守るため風邪鎮めの祭りが行われるようになった。それが「おわら風の盆」である。9月1日から9月3日まで各町内で洗練された踊りが披露される。普段は静かな山間の坂の町に、20万人のお客様が押しかける。哀愁を帯びた胡弓が奏でるおわらの調べが、訪れる人々を魅了する。今年は、残念ながらコロナ禍で全面中止となった。

新作おわらの代表作は、何といっても小杉放庵が詠んだ「八尾四季」である。放庵は日光出身で大正14年(1925)に東京大学安田講堂の壁画を描いたことでも知られている。昭和3年(1928)、おわらの育成に力を注いだ初代おわら保存会会長、川崎順二に招かれ、翌年詠んだ歌詞である。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
  露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

この八尾四季を基に若柳吉三郎が、春夏秋冬にそれぞれ異なった所作がある「四季の踊り(女踊り)」と「かかし踊り(男踊り)」を振り付ける。放庵が八尾で滞在したのは鏡町の旅館「杉風荘(さんぷうそう)」である。

放庵は、疎開のために新潟県赤倉に住居を移し、戦後もそこで暮らすようになる。春陽会を共に立ち上げた中川一政と延楽に度々訪れる。延楽には小杉放庵の足跡が数多く残っている。放庵が好んで使用した紙は半漉きの和紙で、放庵紙 と呼ばれる特注のものだった。