赤楽笹透向付

<温かみのある赤楽>

雅膳の一皿は、「赤楽笹透向付」です。清水六兵衛の作品で、土の素朴な柔らかさが伝わる一品です。赤みを帯びた色調の赤楽は、楽焼の祖長次郎によって利休の好みを組んで、天正10年(1582)前後に作られました。

赤みを帯びた色調は、釉薬によるものではなく、胎土に用いられている陶土の鉄分によるもので、釉は透明または半透明の低下度釉を用いています。轆轤を使わずに手捏ねで形を作るので、柔らかくて温かみがあります。表面に笹の葉を彫り込んで、存在感を出しています。

仁清着彩瓔珞州浜形向付

<瓔珞文>

州浜形とは、三つの輪を少しずつ重ねたような輪郭を持つ形のことを言います。もともとは、一つの島の一方が入り江となり、他方は陸が海に向かって突き出ている部分を、上から見下ろした形です。桃山時代の織部の手鉢などに見られます。

瓔珞とは、インドの上流階級の人々が宝石や貴金属を編んで頭や首、胸にかけて身を飾った装身具です。仏教では菩薩像などを荘厳する飾り具として用いられ、寺院内の天蓋などの装飾にも用いられています。その瓔珞に似た綴り文様を瓔珞文様と言います。

この文様は、中国では明代、嘉靖、天啓年間に景徳鎮民窯の五彩や金襴手に使われ、さらには明代末期の崇禎年間(1628年~44年)の祥瑞にも使われています。日本では江戸初期に野々村仁清が花瓶に応用します。

雅膳の一皿は仁清写しで、寒鰤のお造りも一味違ってきます。

鼠志野籠目角皿

<邪を払う篭目模様>

雅膳の一皿は、「鼠志野籠目角皿」です。籠目の白文様が、寒鰤の塩焼きを引き立てくれます。

鼠志野は、素地を鉄分の多い泥漿にくぐらせて、掻落し文様を施します。この角皿は、籠目文様を掻落し、その上に厚い白釉をかけて焼いた作品です。古来、籠目文様のような連続した文様は、邪気を払うと言われてきました。皿などの器によく使われます。

款冬華(ふきのはなさく)

<蕗の薹>

1月20日から二十四節気は、冬の最後の節気「大寒」に入ります。一年で最も寒い時期で、最低気温を観測するのはこの頃です。寒の内に汲んだ水は、寒の水と呼ばれ雑菌が少ないので、酒、味噌、醤油などの発酵食品を仕込むのに適しています。寒仕込みです。寒さは一段と厳しくなる一方、太陽の光は少しずつ力強さを増してきています。

七十二侯は、「款冬華(ふきのはなさく)」で二十四節気「大寒」の初侯となります。款冬(かんとう)とは蕗のことです。一番早く芽を出す黒部川扇状地の土手は、大雪のため雪に覆われ、蕗の薹が顔を出すに至っていません。雪下の蕗の薹は、苦みが少なく蕗味噌や天婦羅で早春の香りを味わえます。

富山湾では雌の香箱蟹が資源保護のため1月10日から禁漁となりましたが、雄の津合井蟹漁は最盛期を迎えています。浅瀬から深海に至るまで多種多様な魚が生息する富山湾。天然の生簀と呼ばれる所以です。宇奈月温泉は、海の幸、山の幸に恵まれた処です。

割山椒山水見込

<初代・須田菁華>

蕪は寒くなると甘みが増します。春の七草のスズナです。多くの品種があり、大きさも種類により大中小に分けられます。麹で漬け込んだかぶら寿しの美味しい時期でもあります。雅膳の一皿は、蕪と薇の麹和えです。雪国では蕪には麹が欠かせません。

季節の器は、「割山椒山水見込」で、須田菁華の作品です。菁華は、明治39年(1906)に菁華窯を築き、染付、祥瑞、呉須赤絵、古赤絵、古九谷の倣古作品を得意としました。現在は四代目です。大正4年(1915)、北大路魯山人は金沢の細野燕台のもとに寄留した時に菁華窯を訪れ、陶芸への関心を啓発されたのです。

古赤絵七宝蓋向

<落ち着いた色合いの蓋向>

寒い日が続くと底物の魚が旨味を増してきます。なかでも鬼鮋(おにかさご)は格別で、1本釣りで狙います。頭が大きく笠をかぶっているように見えるので笠子とも表記します。牛蒡との煮付けは、お酒が進みます。

季節の器は、「古赤絵七宝蓋向」です。繊細な書き込みを得意とする川瀬竹春の作品です。茶だまりと蓋の裏には梅の図が染付で絵付がされています。二代竹春が生を受けたのは、大正12年(1923)です。

宇奈月の地に7キロ上流の黒薙から、初めて温泉が引れたのが大正12年です。この年に、黒部川で初めての発電所である弥太蔵発電所ができます。黒部鉄道は、その電気を使って三日市(現黒部)から桃原(宇奈月)まで電車を走らせ、宇奈月から建設資材を乗せた専用軌道を上流へと走らせます。この年から、黒部川の電源開発が急ピッチで進められます。

赤絵花鳥長方皿

<のどぐろ若狭焼>

匠膳の焼き物は、のど黒の若狭焼です。照り地を掛けてじっくり焼きます。 のど黒は、脂がのった美味しい魚で地元では魚神(ギョシン)ともいいます。 仕入れの関係で甘鯛に変更になる場合もあります。

季節の器は、「赤絵花鳥長方皿」です。

色絵祥瑞輪花皿

<のど黒・煮付>

富山湾は、蟹漁の最盛期を迎えています。厳しい寒さが続く中、春の気配がかすかにあらわれる。のど黒は、脂がのって旨味が増します。お造りや焼き物、シャブシャブも絶品ですが、甘く焚き上げた煮付けもお勧めです。

季節の器は、「色絵祥瑞輪花皿」です。三浦竹泉の作で、落ち着いた色合いの色絵祥瑞です。輪花の角が立っているので針木皿の一種かもしれません。

祥瑞菊形向付

<小ぶりの祥瑞向付>

延楽の雅膳の一皿は「祥瑞菊形向付」で、永楽妙全の作品です。見込みは菊形に浅くかたどってあります。細かく丁寧に正確に文様を入れるのが妙全の特徴です。妙全は大正3年に三井高棟より号を受けます。

祥瑞の魅力の一つは、明るくて鮮烈な青である発色の良いコバルトブルーにあります。古染付も同様に青の発色に魅了されます。古染付と祥瑞の違いは何か。一つは、制作された時代の違いだと言われています。古染付は、中国で天啓年間(1621年~27年)を中心に作られ、祥瑞は崇禎年間(1628年~44年)を中心に作られました。

祥瑞は、発色が古染付よりも良く緻密な文様が特徴です。例えば幾何学文を細かく描き、丸文や繋文、螺旋状のねじり文にする独特の文様が特徴です。さらには吉祥文字や宝尽くし文、花鳥文など、祥瑞にふさわしいおめでたい文様が多くあります。今日残っている古い祥瑞は当初、茶人の注文品として中国で製作されました。謎の多い祥瑞です。

祥瑞や古染付の名品を多く所蔵しているのが、諏訪湖畔にあるサンリツ服部美術館です。東洋陶磁の中心になっている作品は、服部時計店三代目社長の服部正次の義父である塩原又策のコレクションです。塩原又策は第一三共製薬の創業者で、茶人でもあり美術収集家でもありました。恩人である高峰譲吉の計画に従って大正8年(1919)、三共製薬の本社内にアルミ精錬会社である東洋アルミナム株式会社を立ち上げ、黒部川の電源開発を進めていきます。その4年後に宇奈月に温泉が引湯され、宇奈月温泉が形成されていきます。

雉始雊(きじはじめてなく)

<雪に覆われた黒部川扇状地>

1月15日から七十二侯は「雉始雊(きじはじめてなく)」で、二十四節気「小寒」の末侯となります。雉子の求愛が始まる頃という意味です。

雉の雄は、雌を呼び込むために甲高い声で鳴きます。富山県内は35年ぶりの大雪で、温泉街の雪捨て場に雪が高く積み上げられています。黒部川下流の黒部川扇状地では、雉の求愛行動が活発化する時期ですが、大地がまだ雪に覆われているため、今年は遅れそうです。今日は、延楽・松の内の終わりで、松飾りを取り外し、左義長で見送ります。

左義長は、毎年2月の第一土曜日の宇奈月温泉雪カーニバルの日に宇奈月公園で行われます。左義長に点火されると、炎が夜空に勢いよく舞い上がり、歳神様もその炎に乗って天に帰るとされています。竹の炸裂音から、地域によっては、どんど焼きともいいます。今年は残念ながらコロナ禍で、左義長は中止となり雪上花火だけが打ち上げられます。早く感染拡大が収まって欲しいです。