禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<芸術家を魅了した宇奈月温泉・露天風呂付き客室>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのもの すなわちみのる)」で、二十四節気の「処暑」の末侯となります。禾の文字は、イネ科の植物の穂の形からできており、豊かな実りを象徴しています。立春から数えて210日にあたる9月1日は、野分と呼ばれる強風が吹く頃で、農家の厄日とされました。台風到来の時節です。また関東大震災が起きた日でもあり、現在は防災の日となっています。

田圃では稲穂が膨らんで黄金色になる収穫の頃です。この豊かな実りを強風から守るため、9月1日~3日に風神鎮魂を願う踊り「おわら風の盆」として、富山市八尾の地で執り行われ受け継がれてきました。八尾は、井田川と別荘川が作り出した河岸段丘に拓かれた坂の町です。三味と胡弓が奏でる哀愁漂うおわらの旋律は、訪れる人々を魅了します。

新作おわらの代表作は、小杉放庵が詠んだ「八尾四季」で、 八尾の春夏秋冬を詠んだ4首で次のように構成されています。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
 露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

小杉放庵は、1881(明治44)年に日光市で生まれ、父は国学者で神官あり日光町長も務めていました。放菴は昭和8年12月に初の歌集「放菴歌集」を刊行した際、初めて放菴の号を用いました。それまでは小杉未醒で作品を発表しています。大正14年に東京大学安田講堂の壁画を手掛けたことでも有名です。

八尾四季は、昭和3年1月28日に八尾の開業医、川崎順二に招かれ、新しい品のある歌詞を依頼されます。そして翌年詠んだのが八尾四季です。

放庵は、太平洋戦争が始まると新潟県赤倉に疎開して、戦後そのまま居を構えました。八尾の行き帰りに延楽に逗留して、黒部の作品を創作しました。時には親友で洋画家の中川一政と一緒の時もありました。

おわらに訪れる芸術家たちを魅了したのは、肌に優しい宇奈月の温泉でした。今でも巨匠の足跡は館内に多く残されています。 当時の織部釉のタイルの浴槽を再現したのが、705号室の緑釉の浴槽です。湯舟からは、岩を食む激流とお二人ゆかりの琴音の滝が、眼下に見下ろせます。当時から変わらぬ宇奈月の魅力です。