蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)

<客室露天風呂の源泉吐水口>

9月28日から七十二侯は「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」で二十四節気「秋分」の次侯となります。集く虫たちが土の中にもぐり始める頃という意味で、虫たちの冬支度です。秋分の日を境に日一日と陽は弱く、昼が短くなります。

七十二侯に、真逆の「蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)」があります。半年前の七十二候で冬眠していた生き物が、春の日差しの元に出てくる頃という意味です。蟄虫(ちっちゅう)とは地中にこもって越冬する虫のことです。季節は確実に廻っています。

宇奈月温泉では、黒部の川風で幾分か肌寒さを感じるようになりました。こういう時は早めに宿の入り、部屋付きの露天風呂で日頃の疲れをいやすのが一番です。黒部川の渕の色にも似た玉露色の陶器の浴槽は、峡谷の木々の色合いにしっかりと融け込んでいます。源泉がほとばしる緑釉の吐水口は、黒部の自然に映える陶芸家渾身の作品です。

雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

<栃の森散策道(旧十二貫野用水路)入口>

9月23日から二十四節気は「秋分」を迎えます。「春分」と同様に昼と夜の長さが同じになり、この日を境に陽は弱く短くなります。季節は少しずつ冬へと向います。

七十二侯は「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」で、二十四節気「秋分」の初侯にあたります。黙黙と力強く湧く入道雲は消え、夕立時に鳴り響いた雷が収まる頃という意味です。これに対して七十二侯の「雷乃発声(かみなりすなわちこえはっす)」は、二十四節気「春分」の末侯で、今年は3月31日でした。

雷の多い年は、豊作だと言われるようにお米には雷が密接に関係しています。恵みの雨をもたらすのが雷雲で、その閃光を稲妻と表現するところが稲作文化の象徴かもしれません。 黒部川扇状地の肥沃な大地では、収穫が始まりました。

宇奈月温泉周辺には様々な散策コースがあります。 日差しが和らいでくると、栃の森散策道(旧十二貫野用路)のウォーキングが爽快です。遊歩道の入り口は、宇奈月温泉スキー場の直下にあり、杉の木立が迎えてくれます。最終地点の尾の沼までの2.8kmのコースで、所要時間は1時間20分。途中、眼下に宇奈月ダムとうなづき湖を眺め、樹齢300年の巨木で形成された「栃の森」を抜けると、対岸にはヨーロッパの古城を模した新柳河原発電所が見えてきます。さらに上流へとアキアカネが飛び交う遊歩道を進みます。滝と急流の響きが感じられるようになるとコースの終点間近です。

そこは連なる砂防堰堤から落ちる滝が、連続に重なる絶景の「尾の沼谷」です。谷沿いに設けられた露天風呂「とちの湯」は眺望絶佳で、奥黒部の山々が宇奈月湖の湖面に映り込みます。帰りは平坦なダム湖沿いの道を歩き温泉街へと戻ります。黒部の秋の風情が五感で感じられる、所要時間4時間のおすすめのコースです。

玄鳥去(つばめさる)

<お部屋の露天風呂>

9月18日から七十二候は「玄鳥去(つばめさる)」で、二十四節気の「白露」の末候になります。春に日本にやってきた燕が、暖かい南へ帰る頃という意味です。20日は秋彼岸の入りで暑さ寒さは彼岸までの言葉通り、ようやく残暑が終わります。

燕が日本に渡ってくるのは、七十二侯の「玄鳥至(つばめきたる)」で今年は4月4日でした。宇奈月温泉で飛び交う燕は、尾羽が短い小型の岩燕です。つい最近まで黒部川の河原を飛び交っていました。黒部川の面した部屋から幾筋もの黒い線が観察でき、躍動感あふれるその姿は夏の象徴でした。その岩燕が去ると秋の気配が深まります。

陽が落ちて、草叢に集く虫の音を聞きながら部屋の露天風呂に体を沈めると、頬にあたる川風に冷たさを感じます。山間の出湯は、月影さやかな時を迎えます。延楽で至福のひとときをお過ごしください。

鶺鴒鳴(せきれいなく)

<旧山彦鉄橋:鶺鴒は水辺の小径でよく見かける>

9月12日から七十二侯は「鶺鴒鳴(せきれいなく)」で、二十四節気の「白露」の次侯になります。季節は中秋で、鶺鴒が鳴き始める頃という意味です。ちなみに、今年の中秋の名月は9月10日でした。

鶺鴒は、温泉街周辺で春から秋にかけて観察することができます。川沿いの小径や山道でチチッチチッと高い鳴き声を発して、長い尾をしきりに上下に振りながらまるで道案内をしてくれるかのように小走りに動きます。黒部の渓流沿いや宇奈月谷などの水辺に棲んでいます。

鶺鴒は、古くは日本神話の国産みの神聖な鳥として日本書紀に登場します。白い鶺鴒の季語は秋で、我が国では白というと雪を連想しますが、中国では五行思想により、白は秋の色とされています。

五行思想では四季の変化は、五行の推移によって起こると考えられ、方角や色などあらゆるものに五行が割り当てられます。春は青、夏は赤(朱)、秋は白、冬は黒(玄)。四季に対応する色と時を合わせてできた言葉が、青春、朱夏、白秋、玄冬である。北原白秋の雅号はこれにちなんでいます。

 

草露白(くさのつゆしろし)

<朝夕の川風が冷を含むようになる>

9月7日から二十四節気は「白露」となります。白は日本人にとって雪を連想させますが、日本文化に深くかかわっている中国伝来の五行説では、白は秋の色とされています。「白露」は、秋が本格的に到来し、草花に露がつくようになるという意味です。朝晩の気温差が大きくなると露が降り、ようやく残暑も終わりとなります。江戸時代の暦の解説書である暦便覧には「陰気ようやく重なり露凝って白し」とあります。

七十二侯は「草露白(くさのつゆしろし)」で、「白露」の初侯となります。夜間に空気中の水蒸気が冷却され、草に降りた露が白く光って見える頃という意味です。早朝、山道を行くと草露に足下が濡れます。行き会いの空は鰯雲に覆われ、冷たさを含む黒部の川風に一段と秋の訪れを感じます。扇状地では実りの季節が始まります。夏の陽ざしを受けて大きく成長し色づいた食材が、収穫の時を待っています。

禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<芸術家を魅了した宇奈月温泉・露天風呂付き客室>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのもの すなわちみのる)」で、二十四節気の「処暑」の末侯となります。禾の文字は、イネ科の植物の穂の形からできており、豊かな実りを象徴しています。立春から数えて210日にあたる9月1日は、全国的に風の厄日とされ台風到来の時節です。また関東大震災が起きた日でもあり、防災の日となっています。

田圃では稲穂が膨らんで黄金色になる収穫の頃です。この豊かな実りを強風から守るため、毎年9月1日~3日に風神鎮魂を願う踊り「おわら風の盆」が、富山市八尾の地で受け継がれてきました。八尾は、井田川と別荘川が作り出した河岸段丘に拓かれた坂の町です。三味と胡弓が奏でる哀愁漂うおわらの旋律は、訪れる人々を魅了します。

新作おわらの代表作は、小杉放庵が詠んだ「八尾四季」で、 八尾の春夏秋冬を詠んだ4首で次のように構成されています。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
 露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

小杉放庵は、1881(明治44)年に日光市で生まれ、父は国学者で神官あり日光町長も務めていました。放菴は小杉未醒の時代、東京大学安田講堂の壁画を手掛けたことでも有名です。八尾四季は、昭和3年に八尾の開業医、川崎順二に招かれ新しい歌詞を依頼されて詠んだ歌です。

放庵は、太平洋戦争が始まると新潟県赤倉に疎開して、戦後そのまま居を構えました。八尾の行き帰りに延楽に逗留して、黒部の作品を創作しました。時には親友で洋画家の中川一政と一緒の時もありました。

おわらに訪れる芸術家たちを魅了したのは、肌に優しい宇奈月の温泉でした。今でも巨匠の足跡は館内に多く残されています。 当時の織部釉のタイルの浴槽を再現したのが、705号室の緑釉の浴槽です。昨年7月に完成しました。湯舟からは、岩を食む激流と、お二人ゆかりの琴音の滝が、眼下に見下ろせます。当時から変わらぬ宇奈月の魅力です。

天地始粛(てんちはじめてさむし)

<僧ケ岳登山道より黒部川扇状地を望む>

8月28日から七十二侯は「天地始粛(てんちはじめてさむし)」で、二十四節気「処暑」の次侯となります。粛には、鎮まるとか弱まるという意味あり、ようやく夏の気が鎮まり秋らしい涼しさが訪れる頃という意味です。日中は厳しい暑さが続きますが、少しずつ冷たい空気が漂うようになり秋雨前線の到来も間近となります。温泉街に吹く早朝の川風は、爽やかであり心身ともに心地良さを与えてくれます。

宇奈月の山々では、山野草が風に揺れて秋草の匂いを漂わします。宇奈月の名峰「僧ケ岳」は、立山連峰の北端に位置し日本海からの距離が最も近い山です。そのために標高が1855mにもかかわらず、日本海からの季節風による風衝地帯があり、針葉樹の高木から高山植物などの特有の植生がみられます。標高700~1600mまでに分布する雪椿の植生も興味深いものがあります。

山の開山は平安時代の初めの大同年間(806~810年)と伝えられています。名前は山頂近くに現れる雪形が、僧が馬を引く形に見えることに由来します。麓の人々は、雪形の消長を農作業の目安としていました。晴れた日には、中腹の登山道から黒部川扇状地が一望でき絶景です。黒部川のうねりは、かつての暴れ川の片鱗を見せています。中部山岳国立公園から外れていますが、秋の訪れを満喫できる名座の一つです。

綿柎開(わたのはなしべひらく)

<露天風呂付き客室・706号室>

8月23日から二十四節気の「処暑」に入ります。処とは止まるという意味で、夏の暑さが収まるとされています。七十二侯は「綿柎開(わたのはなしべひらく)」で二十四節気「処暑」の初侯となります。柎(はなしべ)とは、萼のことです。「綿柎開」は、綿の実を包んでいた萼が開きはじめ、中から綿毛が出てくる頃という意味です。

綿は、熱帯や亜熱帯に分布する繊維植物でアオイ科の多年草です。同じ科の木槿や芙蓉と同様夏の花です。寒さに弱いため日本で栽培されているのは、インド綿の変種で1年草です。茎の長さが1m前後になり、秋に結実した果実は卵形で、褐色に熟すと割れて中からは種を包んだ白い綿花があらわれます。この綿毛を紡いで綿糸にします。

黒部の山々は、厚みのある夏雲から白い巻雲に変わろうとしています。行き合いの空は秋の訪れを感じさせます。そんな景色を望める露天風呂付きの客室が、昨年の7月に新たに6部屋完成しました。すべてが眺望絶佳で、眼下には岩を食む黒部川の激流を眺め、眼前には黒部の峰々を望むことができます。峡谷に轟く川の音を聞きながら湯船に浸かります。時折、爽やかな川風が頬に感じられます。どうぞ至福の時を味わってください。

蒙霧升降(ふかききりまとう)

<炸裂音凄まじい宇奈月温泉峡谷花火大会>

8月18日から七十二侯は「蒙霧升降(ふかききりまとう)」で、二十四節気「立秋」の末侯となります。蒙霧とは立ちこめる深い霧のことで、朝晩の冷え込みで霧が発生しやすくなる頃という意味です。俳句では霧は秋の季語で、これから山や川、湖などに霧が発生しやすくなります。

毎年、8月18日は宇奈月温泉花火大会で、光の大輪が峡谷の夜空を華やかに彩ります。宇奈月温泉は四方を山に囲まれているため、花火の炸裂音が峡谷中に響き渡ります。今年は、コロナ禍ではありますが、3年ぶりの峡谷花火大会となります。来年は宇奈月温泉開湯100年となりますので、それに繋がるような花火を打ち上げます。宇奈月温泉の3箇所から打ち上げ、コロナウイルス感染収束の願いを込めて盛大に打ち上げます。

宇奈月温泉の花火大会の歴史は古く、第一回目は1929(昭和4)年で、今から93年前です。柳河原発電所が完成して2年後の事です。その年の雪融けを待って、6月から猫又と鐘釣間の専用軌道の工事が始まります。日本電力が宇奈月の地に旅館や料理屋の誘致を始めてから5年後の事です。昭和の大不況は温泉街をも巻き込み、廃業に追い込まれる旅館が何軒もでました。同年(昭和4年)10月24日、ウォール街の株価が暴落し、暗黒の木曜日が始まります。そしてアメリカの経済悪化が発端となり世界恐慌が始まります。そんな暗い時代を元気づけるために有志によって宇奈月温泉花火大会が行われました。

どんな時代でも変わらぬものがあります。それは宇奈月の特殊な地形が生み出す、癒しの自然です。山野では秋茜が飛び交い、山萩、薄、田村草などの秋を彩る山野草が咲き始めます。山から吹き下ろす風も秋の気配が感じられるようになりました。コロナ禍においても、四季の移り変わりが湯船で感じられる宇奈月温泉は、昭和の初めから多くの文人墨客たちを魅了してきました。

寒蝉鳴(ひぐらしなく)

<昭和天皇陛下御製 入江相政謹書>

8月13日から七十二侯は「寒蝉鳴(ひぐらし なく)」で、二十四節気「立秋」の次侯となります。寒蝉(かんぜみ、かんせん)とは、立秋に鳴く蝉のことで、ヒグラシやツクツクボウシのことです。この時期はヒグラシが相応しいと思います。終わり行く夏を惜しむかのように、夕暮れ時に「カナカナカナ」と鳴く寒蝉の声。今年は前線の停滞で曇り日が多くなりますが、引き続き猛暑日が連続します。夕暮れ時の寒蝉の鳴き声と黒部川の川風は、しばしの涼をもたらしてくれます。

ヒグラシはその鳴き声からカナカナ蝉とも呼ばれています。漢字では蜩、日暮、茅蝉、秋蝉、晩蝉と表わされ、秋の季語となります。昆虫分類はカメムシ目あるいは半翅目(はんしもく)、セミ科に属します。口が針状になっている昆虫は、カメムシ目(半翅目)に分類されます。

宇奈月温泉は、四方を山に取り囲まれている地形故、哀愁を帯びた蝉の鳴き声が多方向から聞こえてきます。少し前までは黒部川から「コロコロコロ」と、川風に乗って河鹿の鳴き声が心地よく聞こえてきました。立秋にはいると見事に寒蝉の鳴き声と入れ替わります。河鹿は清流の歌姫とも呼ばれる蛙で、文人達が宇奈月で詠んだ詩の中に度々登場しますが、寒蝉は出てきません。

宇奈月公園は、お盆前までは蛍が飛び交っていました。清水が流れる園内には、宇奈月の地で詠まれた文人墨客の詩の碑があります。 真夏の蝉時雨や河鹿の鳴き声から余韻を残す寒蝉に変わり、季節の移行のシグナルが肌で感じられる宇奈月公園。そこに点在する歌碑を辿るのも宇奈月温泉での過ごし方の一つです。