桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)

<桐の花が実を結ぶ頃>

7月22日から二十四節気は「大暑」となります。暑さが最高潮を迎えるころで、いにしえ人は軒先に風鈴を下げて音で涼を感じとりました。また窓には葦簀をかけて日差しを避け、路地には打ち水をして、川には川床を設え、夜には船を浮かべて川風に当たるなど、豊かな感性で自然の中に涼を求めました。先人たちの知恵で生まれた納涼文化は大切にしたいものです。

いよいよ梅雨明けです。七十二侯は「桐始結花(きり はじめて はなを むすぶ)」で、二十四節気「大暑」の初侯にあたります。春に開花した桐の花が大暑に入り、実を結ぶ頃という意味です。

桐は、キリ科の落葉広葉樹で宇奈谷沿いや宇奈月温泉上流のうなづき湖の湖畔に多く見られ、五月中旬には薄紫の筒状の花が開花します。大暑に入ると卵形で茶色の実を付けます。高木は枝を大きく伸ばし、広卵形の大きな葉を多く付けるので、涼しげな木陰を提供してくれます。

桐は、古くから鳳凰の止まる木として神聖視されてきました。花札の桐と鳳凰の図柄もこの伝説からきています。桐紋は菊の御紋に次ぐ高貴な紋章として皇室で受け継がれ、日本国政府の紋章として使用されています。

鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)

<黒部奥山の空に鷹が舞う日は間近>

7月17日から七十二侯は「鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)」で、二十四節気「小暑」の末侯になります。

春に生まれた鷹の幼鳥が、飛び方を覚える時期で巣立ちの準備をする頃という意味です。鷹は、古くから獲物を捕るための道具として大切にされてきた猛禽類です。鷹狩りの歴史を辿ると約四千年前に中央アジアの平原で始まり、日本へは四世紀半ばに、朝鮮半島を経て伝わって来たと言われています。

江戸時代には鷹狩は武家社会の中に溶け込んでいきます。とりわけ徳川家康はそれを好み、鷹術は一種の礼法と見なされました。家康が好んだ「祢津流」は全国の武家の間に広まりました。加賀藩や分家の富山藩にはこの流れを汲む「依田家」が鷹匠として抱えられ、文武二道を旨とする前田家で鷹匠文化として継承されてきました。武家にとって鷹狩りは、領内視察のほか軍事演習の意味合いもあったので、武芸奨励として受け継がれてきました。

黒部奥山は加賀藩の直轄地で、黒部奥山廻役という制度ができ定期的に調査に入っていました。役人達は鷹や犬鷲の飛ぶ様子で、位置確認や天候の変化を予測しました。今年の梅雨明けは6月28日で、例年より20日早くなりました。梅雨が明けると黒部奥山の空に鷹が高く舞い上がります。いよいよ盛夏の訪れです。

蓮始開(はすはじめてひらく)

<蓮の花が開くと清浄な香りに包まれる>

7月12日から七十二侯は「蓮始開(はすはじめてひらく)」で、二十四節気「小暑」の次侯になります。 池の水面に蓮の花が開き始める頃という意味です。

泥を俗世に見立て、泥より出でて泥に染まらぬ優雅で貴賓高き蓮の花は、仏教の悟りの境地に例えられます。加えてその崇高な清らかな花に極楽浄土を見るのです。修行僧のかぶり物は、若い蓮の葉を形取ってあり、未熟者であることを表します。仏教徒にとっては聖なる花です。

蓮が咲く頃は、梅雨明け間近です。豪雨により濁流となっていた黒部川は、徐々に水量が落ち着いてきました。河鹿蛙の鳴き声は、川風に乗って心地よく聞こえてきます。 峡谷探勝のシーズン到来です。

温風至(あつかぜいたる)

<延楽の松の剪定>

7月6日から二十四節気は「小暑」となり七夕の日でもあります。小暑は、本格的な暑さの前段階で、徐々に夏を肌で感じるようになります。例年この時期は、長く続いた梅雨が終わりを告げ夏本番となる頃です。小暑から立秋の前日までが「暑中」となります。暑中見舞いはこの間に出し、立秋に入ると残暑見舞いとなります。

七十二侯は「温風至(あつかぜいたる)」で、二十四節気「小暑」の初侯となります。温風とは南風のことで、温風が吹いて蒸し暑い日が増えてくる頃という意味です。沖縄から順に梅雨明けが始まるのもこの時期です。 今年は、日本列島に梅雨前線の停滞が続き、線状降水帯が発生するところでは、大水害をもたらしています。加えて日照時間が短い日が連日続きます。

この頃は、庭木の剪定の時期でもあります。雨の中、植木職人たちが松の新芽を指で摘んで取り除きます。葉が茂りすぎると樹形が見苦しくなります。常緑広葉樹は新しい枝が伸びてくるので剪定をして風通しをよくします。雨に濡れて松の緑が一段と美しく映えます。

半夏生(はんげしょうず)

<宇奈月ダムの排砂ゲートから土砂が出される(2020年6月撮影)>

7月1日から七十二侯は、「半夏生(はんげしょうず)」で二十四節気「夏至」の末侯となります。半夏という薬草が生える頃という意味です。

半夏は、烏柄杓(からすびしゃく)のことで、サトイモ科の多年草です。花茎の頂きに仏炎苞(ぶつえんほう)をつけ、中に肉穂花序を付ける独特な形をしています。宇奈月の山で見かける座禅草、水芭蕉、蝮草なども仏炎苞を有し肉穗花序を付けています。仏炎包とは、仏像の光背の炎形に似ている苞のことで、サトイモ科の植物に多くみられます。

この頃に降る雨は、半夏雨(はんげあめ)と言われ、大雨になることがあります。梅雨前線が日本列島に停滞するこの時期に、宇奈月ダムでは増水を利用して堆積した土砂を吐き出す排砂が行われます。

7月1は北アルプス・立山の夏山開きで、夏山のシーズン到来です。立山黒部アルペンルートの室堂平(標高2450m)にある「みくりが池」周辺では、残雪と高山植物の見頃を迎えます。

菖蒲華(あやめはなさく)

<「田渕俊夫:放水」とカッシーナ・キャブチェアー>

6月26日から七十二侯は「菖蒲華(あやめはなさく)」で、二十四節気「夏至」の次侯となります。 菖蒲の花が咲く頃という意味です。 菖蒲は、「あやめ」とも「しょうぶ」とも読めて、梅雨の到来を告げる花として親しまれています。判別方法は、 外花被のつけ根にある網目模様はあやめ、黄色の目型模様は花菖蒲、白色の目型模様は杜若です。

宇奈月公園の花菖蒲は、6月の初めに沢沿いで開花し今は結実となっています。冷たい清水が流れる沢には源氏蛍が乱舞します。月末には各神社では「夏越の大祓」が行われ、茅の輪をくぐって半年間の穢れを祓います。

立山黒部アルペンルートの黒部ダムは、6月26日から夏の行楽シーズンの到来を告げる観光放水が始まります。ダムは、河床からの高さが高さ186mと日本一の壁面を誇るアーチ式キダムで、二箇所の放水口から毎秒7.5トンずつ合計15トンが放水されます。山が色付く10月15日まで毎日実施されます。 豪音と共に噴出する水しぶきで、くっきりとした虹が架かります。

黒部峡谷・セレネ美術館では、田渕俊夫画伯の黒部ダムの放水を捉えた院展出品作品「放水」が展示されています。人間が大自然に挑んで造り上げたダムです。そこから放出される水のエネルギーを巧みにとらえた名品です。   

乃東枯(なつかれくさかるる) 

<少なくなりつつある靭草(ウツボグサ)>

6月21日から二十四節気は、1年で一番日が長い「夏至」に入ります。冬至に比べると昼の長さが約5時間も長くなり、夜がその分短くなります。平安時代の女人たちは、短夜の逢瀬の切なさを歌に詠んでいます。これから盛夏に向けて日に日に暑さが増し、正午の影が1年で最も短くなります。梅雨のまっただ中なので雨の日がしばらく続き、雨に濡れる花菖蒲が艶やかになる時期です。

七十二侯は、「乃草枯(なつかれくさかるる)」で「夏至」の初侯にあたります。乃東(なつかれくさ)とは、漢方薬に用いられる夏枯草(カコソウ)の古名で、宇奈月の草地に生えるシソ科の靫草(ウツボグサ)のことです。

花穗だけが枯れて黒ずんだ色になるので、夏枯草の名の由来となっています。半年前は「冬至」の初侯で「乃東生(なつかれくさしょうず)」で、夏枯草が生まれ半年たつと枯れていきます。昔も今も季節は正確に巡っています。

梅子黄(うめのみきばむ)

<白身魚と相性のいい煎り酒は、梅干しから作る>

6月16日から七十二侯は「梅子黄(うめのみきばむ)」で、二十四節気「芒種」の末侯となります。梅の実が熟して黄ばむ頃という意味です。梅が黄ばんでくると梅干を作るための収穫となり、いよいよ梅雨本番となります。

延楽ラインショップの人気商品に「煎り酒」があります。梅干しの塩梅と特製出汁を合わせてつくる、オリジナル商品です。富山湾で獲れる真鯛、平目、のど黒、細魚(サヨリ)、太刀魚などの白身魚の刺身に合います。おろし山葵を少々付けて食すと、白身魚の繊細な味わいが口に中に広がります。

醤油が登場する以前に刺身ダレとして使われていました。刺身以外にもドレッシングや鍋物等にも幅広く使えます。延楽秘伝の味で、地酒との相性も良く、山葵を溶いて口に含むとアテにもなります。

腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)

<小雨にそぼ濡れる蛍袋(ホタルブクロ)>

6月10日から七十二侯は「腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)」で二十四節気「芒種」の次侯となります。草が枯れ腐って蛍になるという意味です。出典は中国古典の菜根譚や、江戸時代の歳時記である改正月令博物筌とあります。

蛍は、土の中でサナギになり地上で羽化するので、昔の人は草が朽ちて蛍になると信じていたようです。蛍の異名に「朽草(クチクサ)」と呼ばれているところもあります。宇奈月の梅雨入りは間近です。宇奈月公園ではゲンジボタルが飛び交う頃でもあります。

 宇奈月の山路の斜面では、小雨に濡れた清楚な白花の蛍袋が下向きに開花し、虫の雨宿りには格好の場所となります。清楚な山野草の蛍袋は、宇奈月周辺では白花が多く見られますが、山を越えた信州側では淡紅紫色になります。蛍袋はキキョウ化の多年草で、英語ではベルフラワー(鐘の花)で形から納得できます。花の中に蛍を閉じ込めるとその灯りが外へ透けて見えます。まさに火垂(ほたる)の所以です。

蟷螂生(かまきりしょうず)

<新緑と清流が美しく映える黒部峡谷>

6月5日から二十四節気は「芒種(ぼうしゅ)」となります。「芒」とは、稲や麦などのイネ科植物の小穂を構成する頴(えい)の先端にある針状の突起のことです。芒種とは、芒を持つ植物の種を蒔く時期と言う意味です。

七十二侯は「螳螂生(かまきりしょうず)」で、二十四節気「芒種」の初侯となります。蟷螂は、秋に粘液を泡立てて作る卵鞘の中に多数の卵を産み付けます。その気泡に包まれた卵鞘の中の卵が孵化して幼虫になる頃です。梅の実が黄色く熟す頃でもあり、いよいよ梅雨入りとなります。旧暦では5月にあたり「五月雨(さみだれ)」は、本来梅雨を指していました。「五月晴れ」も同様、梅雨の晴れ間を指す言葉でした。

黒部峡谷の木々の葉は雨に濡れ、緑が一段と美しく輝きを増します。新緑の峡谷を探勝するには、いい季節となります。