蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)

<澤クヮルテット・結成30周年記念コンサート>

9月28日から七十二侯は「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」で二十四節気「秋分」の次侯にあたる。すだく虫たちが土の中にもぐり始める頃という意味。虫たちの冬支度である。秋分の日を境に日は弱く短くなる。

半年前の七十二侯は「蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)」で、冬眠していた生き物が春の日差しの元に出てくる頃という意味。蟄虫(ちっちゅう)とは地中にこもって越冬する虫のことである。

宇奈月国際会館セレネ大ホールでは、バイオリニストで東京芸術大学の澤和樹学長率いる弦楽四重奏団「澤カルテット」の結成30周年記念演奏会が26日行われた。メンバーは第2バイオリン・大関博明さん、ビオラ・市坪俊彦さん、チェロ・林俊昭さん。30年メンバーの交代はなし。息の合った演奏で、一際、澤学長のバイオリンの音色には魅了される。この演奏会は、昨年の七夕コンサート以来である。昨年は奥様の蓼沼恵美子さんのピアノも加わった。レンガ積みのセレネホールはクヮルテットにふさわしい空間を創出してくれる。まさに至福の時である。

雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

<栃の森散策道(旧十二貫野用水路)入口>

9月22日から二十四節気は「秋分」を迎える。「春分」と同様、昼と夜の長さが同じになり、この日を境に陽は弱く短くなる。季節は少しずつ冬へと向かう。

七十二侯は「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」で、二十四節気「秋分」の初侯にあたる。黙黙と力強く湧く入道雲は消え、夕立時に鳴り響いた雷が収まる頃という意味。これに対して七十二侯の「雷乃発声(かみなりすなわちこえはっす)」は、二十四節気「春分」の末侯で、今年は3月30日であった。

雷の多い年は、豊作だと言われるくらい、お米には雷が密接に関係している。恵みの雨をもたらすのが雷雲。その閃光を稲妻と表現するのも、稲作文化の象徴かもしれない。 黒部川扇状地の平野は、半分以上が稲刈りが終わっている。

日差しが和らいでくると、栃の森散策道(旧十二貫野用路)のウォーキングが爽快である。遊歩道の入り口は、宇奈月温泉スキー場の直下にあり、杉の木立が迎えてくれる。最終地点の尾の沼までの2.8kmのコースで、所要時間は1時間20分。眼下に宇奈月ダムとうなづき湖を眺め、途中、樹齢300年の大樹が集まっている「栃の森」を抜けると、対岸にはヨーロッパの古城を模した新柳河原発電所が見えてくる。アキアカネが飛び交う中を歩いていくと滝と急流の轟音が聞こえてくる。砂防堰堤が作る滝が連なる谷「尾の沼」で、コースの終点である。谷沿いに設けられた「とちの湯」の露天風呂で汗を流し、温泉街を目指す。

玄鳥去(つばめさる)

<田渕俊夫:収穫の頃・セレネ美術館蔵>

9月17日から七十二侯は「玄鳥去(つばめさる)」で、二十四節気の「白露」の末侯にあたる。春に日本にやってきた燕が暖かい南の国へ帰る頃という意味。 19日は秋彼岸の入り。暑さ寒さは彼岸までの言葉通り、燕の渡りが始まる。燕がやってくるのは七十二侯の「玄鳥至(つばめきたる)」で、今年は4月4日だった。宇奈月温泉で飛び交う燕は、岩燕で尾羽が短くやや小型である。

岩燕が去る頃、温泉街では毎年、宇奈月モーツアルト音楽祭が行われる。昨年は9月14日から16日の3日間行われ、温泉街がモーツアルトの調べに包まれた。豊かな自然に恵まれた、山あいの出湯ならではの情緒である。今年は残念ながらコロナ禍により中止となる。

 セレネ美術館では昨年、田渕俊夫画伯の展覧が、10月14日まで開催された。田渕画伯は、昨年の「大嘗祭の大饗の儀」で披露された悠紀地方風俗歌屏風・春夏・秋冬を描かれ、今最も注目されている画家である。日本美術院理事長の要職に在り、研ぎ澄まされた感性で宮中にふさわしい貴賓ある風景画を制作された。

今年の展覧会は、昨年明治神宮の内陣に収められた屏風を制作された手塚雄二展を企画していたのだが、これもコロナ禍で中止となる。来年はぜひ実現し、質の高い芸術作品に触れていただきたいと願っている。これからは徐々に秋が深まり、月影さやかな好季を迎える。

鶺鴒鳴(せきれいなく)

<水辺の小径で見かける>

9月12日から七十二侯は「鶺鴒鳴(せきれいなく)」で、二十四節気の「白露」の次侯にあたる。季節は中秋で、鶺鴒が鳴き始める頃という意味。ちなみに、今年の中秋の名月は10月1日である。

鶺鴒は、温泉街周辺で春から秋にかけての長期間にわたり、観察することができる。川沿いの小径や山道でチチッチチッと高い鳴き声を発して、長い尾をしきりに上下に振りながら小走りに動く。まるで道案内をしてくれるかのように。黒部の渓流沿いや、宇奈月谷などの水辺に棲む。

鶺鴒は、古くは日本神話の国産みの神聖な鳥として日本書紀に登場する。白い鶺鴒の季語は秋。我が国では白というと雪を連想するが、中国では五行思想により、白は秋の色とされている。

五行思想では四季の変化は、五行の推移によって起こると考えられ、方角や色などあらゆるものに五行が割り当てられる。春は青、夏は赤(朱)、秋は白、冬は黒(玄)。四季に対応する色と時を合わせてできた言葉が、青春、朱夏、白秋、玄冬である。北原白秋の雅号はこれにちなんでいる。

 

禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<おわら風の盆:坂の町を照らす西町のぼんぼり>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのものすなわちみのる)」で、二十四節気「処暑」の末侯にあたる。禾の文字は、植物の穂の形からできており豊かな実りを象徴する。稲穂が膨らんで黄金色になる頃という意味。

立春から数えて210日目にあたるこの時期は、「二百十日」と呼ばれ台風に見舞われやすい。そのため越中八尾では風害から農作物を守るため風邪鎮めの祭りが行われるようになった。それが「おわら風の盆」である。9月1日から9月3日まで各町内で洗練された踊りが披露される。普段は静かな山間の坂の町に、20万人のお客様が押しかける。哀愁を帯びた胡弓が奏でるおわらの調べが、訪れる人々を魅了する。今年は、残念ながらコロナ禍で全面中止となった。

新作おわらの代表作は、何といっても小杉放庵が詠んだ「八尾四季」である。放庵は日光出身で大正14年(1925)に東京大学安田講堂の壁画を描いたことでも知られている。昭和3年(1928)、おわらの育成に力を注いだ初代おわら保存会会長、川崎順二に招かれ、翌年詠んだ歌詞である。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
  露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

この八尾四季を基に若柳吉三郎が、春夏秋冬にそれぞれ異なった所作がある「四季の踊り(女踊り)」と「かかし踊り(男踊り)」を振り付ける。放庵が八尾で滞在したのは鏡町の旅館「杉風荘(さんぷうそう)」である。

放庵は、疎開のために新潟県赤倉に住居を移し、戦後もそこで暮らすようになる。春陽会を共に立ち上げた中川一政と延楽に度々訪れる。延楽には小杉放庵の足跡が数多く残っている。放庵が好んで使用した紙は半漉きの和紙で、放庵紙 と呼ばれる特注のものだった。

天地始粛(てんちはじめてさむし)

<僧ケ岳登山道より黒部川扇状地を望む>

8月28日から七十二侯は、「天地始粛(てんちはじめてさむし)」で、二十四節気「処暑」の次侯にあたる。

粛には、鎮まるとか弱まるという意味あり、ようやく夏の気が鎮まり、朝夕には秋らしい涼しさが訪れる頃という意味。日中は厳しい暑さが続くが、少しずつ冷たい空気が漂いだし、秋雨前線の到来も間近である。温泉街に吹く早朝の川風は爽やかであり、心身ともに心地良さを与えてくれる。

宇奈月の山々では、山野草が風に揺られ、秋草の匂いを漂わす。宇奈月の名峰、僧ケ岳(1855m)は、立山連峰の北端に位置し、日本海からの距離が最も近い山である。そのために標高が1855mにもかかわらず、日本海からの季節風による風衝地帯があり、針葉樹の高木から高山植物などの特有の植生がみられる。山地帯(中腹)の雪椿の植生も興味深い。

登山道から見下ろす黒部川扇状地は、絶景である。黒部川のうねりは、かつての暴れ川の片鱗を示す。中部山岳国立公園からは外れてはいるが、秋の訪れを満喫できる名座である。

綿柎開(わたのはなしべひらく)

<聴衆が魅了される千住さんの響き>

8月23日から二十四節気の「処暑」に入る。処とは止まるという意味で夏の暑さが収まるとされる。七十二侯は「綿柎開(わたのはなしべひらく)」で二十四節気「処暑」の初侯にあたる。綿を包む柎(はなしべ)が開き、中から綿毛が出てくる頃という意味。

22日、宇奈月国際会館セレネの大ホールで、バイオリニスト千住真理子さんのリサイタルが行われた。コロナ禍にもかかわらず、主催者側のあらゆる手を尽くした感染防止策のもと無事開催された。ストラディヴァリウスの深みのある美しい情熱的な音色が会場に響いた。千住さんの愛器ストラディヴァリウスは、1716年に製作され「デュランティ」の愛称で知られている。約300年間誰にも弾かれずに眠っていた幻の名器である。

最初の舞台挨拶で「新型コロナによる度重なる公演中止が続き、今回再び舞台に立てた事が夢のようです。一曲一曲心を込めて演奏します。」とその言葉が聴衆の心の琴線にふれた。コロナが収束し、再びセレネホールでの演奏会を心から願うものである。

蒙霧升降(ふかききりまとう)

<炸裂音凄まじい宇奈月温泉花火大会>

8月17日から七十二侯は「蒙霧升降(ふかききりまとう)」で二十四節気「立秋」の末侯にあたる。蒙霧とは立ちこめる深い霧のことで、朝晩の冷え込みで濃い霧が発生しやすい頃という意味。俳句では霧は秋の季語で、これから山や川、湖などに霧が発生しやすくなる。

毎年、8月18日は宇奈月温泉花火大会で、光の大輪が峡谷の夜空を華やかに彩る。宇奈月温泉は四方を山に囲まれているため、花火の炸裂音が峡谷中に響き渡る。残念ながら今年はコロナ禍の影響で中止となった。一日も早く収束し、冬の花火に期待されるところである。

宇奈月の山野では秋茜が飛び交い、山萩、薄、田村草など秋を彩る花々が咲き始める。山から吹き下ろす風も秋の気配が感じられる。

寒蝉鳴(ひぐらしなく)

<昭和天皇陛下 御製>

8月12日から七十二侯は、「寒蝉鳴(ひぐらし なく)」で二十四節気「立秋」の次侯にあたる。寒蝉(かんぜみ、かんせん)とは、立秋に鳴く蝉で、ヒグラシやツクツクボウシをさす。この時期はヒグラシが相応しい。終わり行く夏を惜しむかのように、夕暮れ時に「カナカナカナ」と鳴く寒蝉の声。

ヒグラシはその鳴き声からカナカナ蝉とも呼ばれる。漢字では蜩、日暮、茅蝉、秋蝉、晩蝉と表わされ、秋の季語になっている。昆虫分類はカメムシ目あるいは半翅目(はんしもく)、セミ科に属する。口が針状になっている昆虫は、カメムシ目(半翅目)に分類される。

宇奈月温泉は、四方を山に取り囲まれている地形故、哀愁を帯びた鳴き声が多方向から聞こえてくる。少し前までは、河鹿の鳴き声が黒部の川から「コロコロコロ」と、川風に乗って心地よく聞こえていたのだが、立秋にはいると寒蝉と入れ替わる。河鹿は清流の歌姫とも呼ばれる蛙で、文人達が宇奈月で詠んだ歌や詩の中に度々登場するのだが、寒蝉は出てこない。

宇奈月公園には幾つかの歌碑が建っている。 真夏の蝉時雨から余韻を残す寒蝉に変わり、季節の移行のシグナルを肌で感じながら歌碑を辿るのも宇奈月温泉での過ごし方の一つである。

涼風至(すずかぜ いたる)

<甘い香りを漂わせる葛の花>

8月7日から二十四節気は「立秋」。猛暑日が続くが、暦の上では秋を迎える。 宇奈月では、日中まだまだ厳しい暑さが続くが、朝に涼やかな川風の気配が感じられるようになる。立秋以降の暑さを残暑といい、手紙の時候の挨拶は「残暑見舞い」となるが、今年はまだまだ酷暑日が続く。

七十二侯は「涼風至(すずかぜいたる)」で、二十四節気「立秋」の初侯にあたる。季節は少しずつ秋に向かい、涼しげな風が吹く頃という意味。

葛は様々な樹木に絡みつき赤紫色の花を開花させ、その甘い香りを周辺に漂わせて、しかも暑さに強い植物である。そんな葛の葉の陰から、集く虫の音が聞けるのも間近である。