金盞香(きんせんか さく)

<霧に覆われる黒部峡谷>

11月18日から七十二侯は、「金盞香(きんせんかさく)」で二十四節気「立冬」の末侯にあたる。金盞香が咲き始める頃という意味。金盞香とは水仙のことで、別名「雪中花」とも言う。

五弁の花びらの真ん中にある副花冠が、金色の盃を表す「金盞(きんせん)」に似ているところから、金盞香と命名される。水仙の花が咲くと、上品な香りが漂い始める。

宇奈月温泉では、冷たい時雨が降ったりやんだり繰り返しながら、一雨ごとに冬へと近づいてゆく。雨上がりの霧が山を覆い、その切れ間から深紅に染まった木々が現れる。雨上がりの紅葉の黒部峡谷は一段と幻想的になる。山の頂が雪化粧すると黒部の三段染めが始まる。

地始凍(ちはじめてこおる)

<紅葉の落葉樹林>

11月13日から七十二侯は「地始凍(ちはじめてこおる)」で、二十四節気の「立冬」の次侯にあたる。陽気が弱まって日ごとに冷え込みが増し、大地が凍り始める頃という意味。

冷たい時雨が降ったりやんだりを繰り返し、ひと雨毎に冬へと近づいていく。黒部峡谷の紅葉はまだまだ見ごろで、色濃い黄金色と深紅の照り葉が、美しく輝く。

宇奈月温泉「やまびこ遊歩道」では、様々な木々の落ち葉が敷き詰められている。黄色く色付いたクスノキ科の壇香梅や、大葉黒文字の落ち葉は、柑橘系の香りを漂わせる。春にはいち早く花を咲かせる、落葉樹である。

山茶始開(つばき はじめてひらく)

<湯鏡に映る錦秋の峡谷>

11月8日から二十四節気は「立冬」に入る。暦の上では冬の到来であるが、宇奈月温泉周辺の紅葉が最も美しく映える頃だ。

七十二侯は、「山茶始開(つばき はじめてひらく)」で二十四節気「立冬」の初侯にあたる。太陽の気配が弱くなり、山茶花が咲き始める頃という意味。黒部の山々は、新雪で雪化粧をして、黒部の三段染めを楽しめる頃を迎える。露天風呂の湯鏡に「錦秋の峡谷」が色濃く映り込む。

山の緑が消え紅葉や落ち葉が多くなると北西からの強い風が吹くようになる。本格的な冬の到来である。富山湾では、冬の味覚ズワイガニ漁が6日から解禁となった。漁はこれから年末にかけてピークとなり、雄が3月20日まで、雌は1月20日までとなっている。

湯量豊富な美肌の湯とズワイガニは、冬の宇奈月温泉の最高の取り合わせである。

楓蔦黄(もみじつた きばむ)

<遠山初雪:塩出英雄 セレネ美術館蔵>

11月3日から七十二侯は「楓蔦黄(もみじつた きばむ)」で、二十四節気「霜降」の末侯にあたる。楓や蔦が黄色く色付き、紅葉が始まる頃という意味。

宇奈月温泉周辺は黄色や赤に彩られ、これからその濃さが増してくる。黒部峡谷は、これから深紅が鮮やかになる。黒部峡谷には楓の大樹が多く自生する。赤く染まる楓は、ハウチワカエデ、ウリハダカエデ、イロハモミジ、ヤマモミジ等。黄色く色づく楓は、イタヤカエデ、ヒトツバカエデ等があり、常緑樹の緑と流れる水の青さなどが入り混じり峡谷は極彩色に彩られる。

今はなき日本画家塩出英雄先生が、竪坑上部の展望台から黒部峡谷を望まれた時、黒部峡谷は荘厳で宗教的な美しさがあると感嘆されていた。その時の取材作品「遠山初雪」が、二曲屏風でセレネ美術館に収蔵されている。

霎時施(こさめ ときどきふる)

<黒部川扇状地から後立山連峰を望む>

10月29日から七十二侯は「霎時施(こさめ ときどきふる)」で、二十四節気「霜降」の次侯にあたる。霎(こさめ)は小雨ではなく通り雨で、時雨(しぐれ)のこと。一雨毎に気温が下がり、冬が近づく頃という意味。一雨毎に温度が一度下がる「一雨一度」とはよく言ったものだ。

秋晴れの下、黒部川河川敷から上流を望むと初冠雪を戴いた後立山連峰が白く輝いている。富山県と長野県の境をなしている連山である。左から白馬岳(2932m)、旭岳(2867m)、清水岳(2603m)の峰々で、右奥の鹿島槍ヶ岳(2889m)と連なる。いずれも黒部川を育む名座である。

秋時雨は、冬支度を始める合図で、黒部川の支流ではサクラマスの産卵が始まっている。黒部峡谷鉄道の最終駅である欅平付近は標高600mで、今が紅葉真っ盛り。黒部峡谷紅葉前線は、約10日かけて宇奈月温泉へと降りてくる。いよいよ山装う季節に入る。

霜始降(しも はじめてふる)

<昭和天皇 御製>

10月24日から二十四節気は「霜降」に入る。秋は深まり暖が欲しくなる頃、里山には霜が降りる。「霜降」が過ぎれば立冬となるので、今は秋から冬への変わり目である。22日に北アルプス立山、白馬岳の初冠雪が、気象台から発表され、立山連峰、後立山連峰の名座が雪化粧。

七十二侯は「霜始降(しも はじめてふる)」で二十四節気「霜降」の初侯にあたる。朝夕の冷気で、延楽から対峙する黒部の山々の稜線は、赤や黄に染まる。宇奈月温泉周辺の黒部川支流では、サクラマスの産卵が始まった。

昭和33年10月21日、昭和天皇が延楽で宿泊されたときに詠まれた御製が残されている。

(御製 宇奈月の宿より黒部川を望む)
くれないに 染め始めたる 山あいを
  流るる水の 清くもあるかな
 
 侍従 入江相政 謹書

宿の部屋から眺める黒部の山々は色付き始め、峡谷を流れる水はますます清く透明度増してくる。今も昔も変わらぬ黒部の峡谷美である。

薬師草(ヤクシソウ) キク科

<花は鮮やかな黄色で固まって咲く>

薬師草(ヤクシソウ)は、宇奈月の日当たりのよい山野の路傍や草地に生える、キク科の多年草です。

茎はよく分枝して高さ30cm~120cmになります。初期には根出葉がありますが、花時には無くなり、茎葉だけになります。茎葉は互生し倒卵形で縁に浅い鋸歯があり、基部は後方に丸く張り出し、茎を抱きます。

夏から秋にかけて、枝先や上部の葉腋に、黄色の頭花を数個ずつ付けます。

蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)

<「秋草の図」塩崎逸陵>

10月19日から七十二侯は「蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)」で、二十四節気「寒露」の末侯にあたる。季節は晩秋、冬がそこまでやってきているので、蟋蟀(きりぎりす)が戸口で鳴く頃という意味。昔はコオロギのことをキリギリスと呼んだ。

一雨ごとに秋の深まりが感じられ、黒部の山々の稜線は紅に染まりつつある。黒部の流れは増々清くなり、サケの遡上が始まる。サクラマスは皐月の頃に遡上が終わり、今は黒部の川の深い淵に潜んで、産卵のために支流へ移動する頃合いを探っている。

塩﨑逸陵の「秋草の図」に秋の虫が描かれている。塩﨑逸陵は、富山県高岡市出身の日本画家で東京美術学校(東京藝術大学)に学び、川端玉章、寺崎広業に師事された。気品あふれる花鳥画や人物画を描きその足跡が、延楽に残されている。

菊花開(きくのはな ひらく)

<黒部川扇状地>

10月14日から七十二侯は「菊花開(きくのはな ひらく)」で、二十四節気の「寒露」の次侯にあたる。菊が咲き乱れる頃という意味。芸術の秋、黒部峡谷セレネ美術館では、令和記念特別展「田渕俊夫・至極の日本画」の最終日を迎える。

東日本を縦断し、猛烈な雨をもたらした台風19号により、各地で大規模な洪水被害が出た。13日の深夜、千曲川の堤防が決壊して、北陸新幹線車両基地にあった120両が浸水し、復旧が長期化する事態となった。自然災害の恐ろしさを見せつけられた。寺田虎彦が昭和の初めに「天災と国防」の随筆で警鐘を鳴らしたごとく、文明が進むほど自然の猛威による災害は激烈の度を増すのである。

田渕俊夫画伯の展覧会の終わりにあたり、今回のポスターに使用された作品「大地(黒部川扇状地)」は、洪水の繰り返しで形成された大地で、水は人間にとって両刃の刃であることを物語っている。治水という名のもとに治めた黒部川であるが、俯瞰して見ると河道には幾筋にもうねりがあり、四十八ヶ瀬を作り出した暴れ川の力が潜んでいるようにも見える。

画伯は、黒部の自然をテーマにした、数々の作品を発表された。黒部の水の作品が多い。人が大自然の中に造った横坑。厳冬期には、その傷を癒すかの如く清水がゆっくりと染み出て落ちて「氷筍」となっていく。水の優しさである。「黒部ダム」によって湛水された水が電気を生み出す、水の力強さ。氾濫を引き起こす水のうごめくエネルギーが伝わる「大地(黒部川扇状地)」。黒部の急流が作り出した「S字峡」と「十字峡」等の名品が展示された。その名品からは、人と自然との共生の大切さが伝わってくる。

鴻雁来(こうがん きたる)

<1993年院展出品作「刻」>
令和記念特別展「田渕俊夫 至極の日本画」より

10月8日から二十四節気は「寒露」となる。夜空に輝く星が冴える頃、秋が徐々に深まり、夜は肌寒く朝夕の露が一層冷たく感じられるようになる。七十二侯は「鴻雁来(こうがん きたる)」で、雁が北から渡ってくる頃という意味。

これに対して半年前の七十二侯は、「鴻雁北(こうがん かえる)」で雁が北に帰っていく頃で、今年は4月10日だった。七十二侯は、先人たちの豊かな感性が育んだ、日本の暦である。

田渕俊夫画伯の令和記念特別展も、いよいよ終盤を迎える。今回の秀作の中でもとりわけ目を引くのが、1993年院展出品作「刻」で、冬の函館山から、街の明かりが徐々にともり、日が暮れようとしている刻を捉えた名作である。

そこには、街の建物が詳細に配置され、無数の明かりが描かれている。函館山を包む、北の大地の冷え切った空気感も伝わってくる。画伯は昼から山に登り、寒さに耐えながら、明かりが少しずつ点灯していく様を捉えられた。

会期は10月14日迄。