宇奈月温泉雪上花火大会は2月、3月の毎週土曜日に実施されます。
特に2月の第一土曜日は雪のカーニバルと重なるため、打ち上げの本数も多く見ごたえがあります。
宇奈月温泉は周りを山に取り囲まれた地形なので、花火の轟音が谷間に響き渡ります。
雪が止むと夜空が澄み渡り、花火の発色がことのほか美しくなります。
宇奈月温泉雪上花火大会は2月、3月の毎週土曜日に実施されます。
特に2月の第一土曜日は雪のカーニバルと重なるため、打ち上げの本数も多く見ごたえがあります。
宇奈月温泉は周りを山に取り囲まれた地形なので、花火の轟音が谷間に響き渡ります。
雪が止むと夜空が澄み渡り、花火の発色がことのほか美しくなります。
お正月の宴会場の室礼は色とりどりの加賀てまりを集めたつるし手鞠です。
優美なつるし手鞠は、古くから金沢等に見られる伝統行事です。
手鞠は手作りで加賀手鞠と呼ばれ伝統的な模様や四季折々の花などを色鮮やかな糸を刺して作られます。
延楽【雅の膳】の宴会で使われる蒔絵を施した輪島塗とよく合います。
新年を迎える飾りつけで欠かせないのは門松です。延楽玄関に立てられた門松です。門松は年神を迎え入れるための依代(よりしろ)です。
7日までの松の内の期間飾るところや、1月15日の小正月まで飾るところなど地域によって異なります。
延楽恒例の新春餅つき大会が、元旦に行われました。
最初は延楽スタッフが餅をつき、最後の仕上げをお客様にしていただきます。
今年は、女性の参加者が目立ちました。
お餅は、大根おろし、きな粉、老舗和菓子屋の特製の餡で仕上げました。
どれも美味しく評判も上々でした。
将棋界の最高位を争う第26期竜王戦第5局は11月28日・29日の2日間にわたり、当館の貴賓室「鳳凰」で行われました。
渡辺明竜王と挑戦者・森内俊之名人の対局で熱戦の末、29日18時23分挑戦者が135手にて勝利を収め、4勝1敗で竜王のタイトルを奪取され、竜王、名人の2冠を達成されました。
10連覇達成できなかった渡辺明元竜王は、惜しくも棋王、王将の2冠に後退されました。
大盤解説の会場には沢山のファンが詰めかけ、村田顕弘5段と上田初美女流3段の解説に熱心に耳を傾けていました。
会場の大きな窓から黒部峡谷のみぞれ交じりの雨に濡れた色濃い紅葉が映り込み、秋の深まりを一層感じさせる特別の一日でした。
黒部峡谷・下の廊下にかかる東谷吊橋です。
このすぐ上流の山腹に黒部川第四発電所があり、送電線の引きだし口が2基見えます。
このつり橋を渡ると直ぐに仙人ダムがあり黒部ダムから続いた日電歩道の終点となり、水平歩道の始まりとなります。
黒部峡谷、東谷から上流は立山町となり下流は黒部市となります。
阿曽原小屋まで後1時間です。
十字峡の剱沢にかかる吊橋を渡り、2km程下ると半月沢があります。
その沢を大きく回り込むと、深く切れ込んだ半月峡、S字峡の雄大な絶景が足元に連続して見えます。
中でもS字峽は、花崗岩が長い時間をかけて侵食されて出来た深い谷で、その白さに雪解け水が清流となって作り出す青い淵が美しく映えます。
下流の対岸に目をやると黒四地下発電所の送電線引き出し口が見え、めざす阿曽原小屋まであと2時間の道のりです。
黒部峡谷・下の廊下は黒部ダムから欅平までの約30kmの登山道で深い断崖絶壁の感動の谷の連続です。
電源開発の資材を人力で運ぶために戦前に日本電力によって造られました。
毎年、積雪や落石などの状況で通行可能期間が変わりますので事前の確認が必要です。
黒部ダムから12km下流、所要時間約5時間のところに、黒部川本流に剱沢の急流と棒小屋沢の急流がぶつかる景勝の地があります。
かつて冠松次郎が世に紹介した黒部峡谷・十字峡です。
激しくぶつかり合う本流と支流の青い急流は、深い渓谷に複雑な流れを生み出します。
温泉街のボンボリに明りが灯ると越中おわら宇奈月編の始まりです。哀愁を帯びた胡弓の調べは、黒部の川風にのり温泉街に流れます。町中に設けられた特別ステージでは胡弓、三味線、太鼓、お囃子、謡の旋律に合わせ男踊り、女踊りが実演されます。会場では踊りの手ほどきがあり、全員で町流しに参加します。雨天時は、宇奈月国際会館「セレネ」の大ホールに会場が移され屋外とは違った趣の中で行われます。
夏のおわらは、8月25日から8月31日
中秋のおわらは、9月10日から9月16日
夜:8時15分から始まります。
【宇奈月温泉木管事件碑の碑文】
宇奈月温泉木管事件は、戦前の大審院(最高裁判所に相当)が、初めて「権利の濫用」という文言を判決文の中で使い、所有権の濫用になる請求を許さなかった民事裁判事件として有名である。
大正6年(1917)黒薙川上流から宇奈月温泉まで引湯木管や木樋が施設された時、個人所有地のわずか6平方メートルほどの部分につき承諾を得ていなかった。この土地と隣接地の買主が、土地所有権の妨害を強調して時価数十倍の高値での全部買収を要求し、これを拒否されたため引湯木管撤去と立ち入り禁止を求めて提訴したが、第一審・第二審ともに敗訴した。大審院も買主の請求を認めなかった。
この宇奈月温泉木管事件の大審院昭和10年10月5日判決の後、「権利の濫用の禁止」の同旨判決が続き、この法原則は、判例法として確立し、昭和22年の改正民法において第1条3項「権利ノ濫用ハ之ヲユルサス」と成文法化され、すべての私権に適用される重要なものになっている。
宇奈月温泉木管事件は、このような歴史的意義を持つため、きわめて多くの法律書や論文等に引用されている。事件の跡地があることを示すため、ここにこの碑を建立した。
<高岡法科大学学長 吉原節夫>
現地は宇奈月ダムのとちの森トンネルを抜けた先にあり、ダム湖に面しているので眺めのいいところです。
温泉街から車で10分、徒歩で、やまびこ遊歩道を使って片道約1時間の道のりです。