仁清着彩瓔珞州浜形向付

<瓔珞文>

寒鰤の造りには大根おろしが欠かせません。その脂は甘くもあり、格別の旨さがあります。地元の甘めの醤油があいます。雅膳の一皿は、寒鰤のお造りです。

季節のうつわは「仁清着彩瓔珞州浜形向付」で、仁清写しです。

州浜形とは、三つの輪を少しずつ重ねたような輪郭を持つ形のことを言います。もともとは、一つの島の一方が入り江となり、他方は陸が海に向かって突き出ている部分を、上から見下ろした形です。桃山時代の織部の手鉢などに見られます。

瓔珞とは、インドの上流階級の人々が宝石や貴金属を編んで頭や首、胸にかけて身を飾った装身具です。仏教では菩薩像などを荘厳する飾り具として用いられ、寺院内の天蓋などの装飾にも用いられています。その瓔珞に似た綴り文様を瓔珞文様と言います。

この文様は、中国では明代、嘉靖、天啓年間に景徳鎮民窯の五彩や金襴手に使われ、さらには明代末期の崇禎年間(1628年~44年)の祥瑞にも使われています。日本では江戸初期に野々村仁清が花瓶に応用します。

鼠志野籠目角皿

<邪を払う篭目模様>

雪の日が続くと富山湾に寒鰤が入ってくるようになります。
雅膳の一皿は、寒鰤の塩焼きです。

季節のうつわは「鼠志野籠目角皿」です。
籠目の白文様が、寒鰤の塩焼きを引き立てくれます。

鼠志野は、素地を鉄分の多い泥漿にくぐらせて、掻落し文様を施します。この角皿は、籠目文様を掻落し、その上に厚い白釉をかけて焼いた作品です。古来、籠目文様のような連続した文様は、邪気を払うと言われてきました。皿などの器によく使われます。

款冬華(ふきのはなさく)

<蕗の薹>

1月20日から二十四節気は、冬の最後の節気「大寒」に入ります。一年で最も寒い時期で、最低気温を観測するのはこの頃です。寒の内に汲んだ水は、寒の水と呼ばれ雑菌が少ないので、酒、味噌、醤油などの発酵食品を仕込むのに適しています。寒仕込みです。寒さは一段と厳しくなる一方、太陽の光は少しずつ力強さを増してきています。

七十二侯は、「款冬華(ふきのはなさく)」で二十四節気「大寒」の初侯となります。款冬(かんとう)とは蕗のことです。黒部川扇状地の土手では蕗の薹が顔を出しています。雪下の蕗の薹は、苦みが少なく蕗味噌や天婦羅で早春の香りを味わえます。

一方、富山湾では雌の香箱蟹が資源保護のため漁が1月20日までとなっていますが、雄の津合蟹漁は最盛期を迎えています。浅瀬から深海に至るまで多種多様な魚が生息する富山湾。天然の生簀と呼ばれる所以です。宇奈月温泉は、湯量豊富な温泉と山の幸と海の幸に恵まれた絶好の場所です。

割山椒山水見込

<初代・須田菁華>

蕪は寒くなると甘みが増します。春の七草のスズナです。多くの品種があり、大きさも種類により大中小に分けられます。麹で漬け込んだかぶら寿しの美味しい時期でもあります。雅膳の一皿は、蕪と薇の麹和えです。雪国では蕪には麹が欠かせません。

季節のうつわは「割山椒山水見込」で、須田菁華の作品です。菁華は、山代温泉で明治39年(1906)に菁華窯を築き、染付、祥瑞、呉須赤絵、古赤絵、古九谷の倣古作品を得意としました。現在は四代目です。大正4年(1915)、北大路魯山人は金沢の細野燕台のもとに寄留した時に菁華窯を訪れ、陶芸への関心を啓発されたのです。

古赤絵七宝蓋向

<落ち着いた色合いの蓋向>

寒い日が続くと底物の魚が旨味を増してきます。なかでも鬼鮋(おにかさご)は格別で、1本釣りで狙います。頭が大きく笠をかぶっているように見えるので笠子とも表記します。牛蒡との煮付けは、お酒が進みます。

季節のうつわは「古赤絵七宝蓋向」です。繊細な書き込みを得意とする川瀬竹春の作品です。茶だまりと蓋の裏には梅の図が染付で絵付がされています。二代竹春が生を受けたのは、大正12年(1923)です。

宇奈月の地に7キロ上流の黒薙から、初めて温泉が引れたのが大正12年です。この年に、黒部川で初めての発電所である弥太蔵発電所ができます。黒部鉄道は、その電気を使って三日市(現黒部)から桃原(宇奈月)まで電車を走らせ、宇奈月から建設資材を乗せた専用軌道を上流へと走らせます。この年から、黒部川の電源開発が急ピッチで進められます。今年で宇奈月温泉は、開湯101年目になります。

色絵祥瑞輪花皿

<のど黒・煮付>

富山湾は、蟹漁の最盛期を迎えています。厳しい寒さが続く中、春の気配がかすかにあらわれるのど黒は、脂がのって旨味が増します。お造りや焼き物、シャブシャブも絶品ですが、甘く焚き上げた煮付けもお勧めです。

季節のうつわは「色絵祥瑞輪花皿」です。三浦竹泉の作で、色絵祥瑞で祥瑞赤絵とも言います。

色絵祥瑞は、南京赤絵の一様式で、中国明時代末期の崇禎年間頃に景徳鎮の民窯で、日本の茶人の注文によって焼かれた磁器です。主に皿、鉢が中心をなし懐石道具として珍重されました。この作品は、皿の見込みに兎や鳥を丸紋に納め、余白には祥瑞ならではの幾何学模様を大胆に区割りして緻密に描き込んであります。皿の縁を輪花形に作り、口紅と呼ばれる縁銹を施してあります。

祥瑞菊形向付

<祥瑞向付>

延楽の雅膳の一皿は「祥瑞菊形向付」で、永楽妙全の作品です。見込みは菊形に浅くかたどってあります。細かく丁寧に正確に文様を入れるのが妙全の特徴です。大正3年に三井高棟より「妙全」の号を受けます。

祥瑞の魅力の一つは、明るくて鮮烈な青である発色の良いコバルトブルーにあります。古染付も同様に青の発色に魅了されます。古染付と祥瑞の違いは何か。一つは、制作された時代の違いだと言われています。古染付は、中国で天啓年間(1621年~27年)を中心に作られ、祥瑞は崇禎年間(1628年~44年)を中心に作られました。

祥瑞は、発色が古染付よりも良く緻密な文様が特徴です。例えば幾何学文を細かく描き、丸文や繋文、螺旋状のねじり文にする独特の文様が特徴です。さらには吉祥文字や宝尽くし文、花鳥文など、祥瑞にふさわしいおめでたい文様が多くあります。今日残っている古い祥瑞は当初、茶人の注文品として中国で製作されました。謎の多い祥瑞です。

祥瑞や古染付の名品を多く所蔵しているのが、諏訪湖畔にあるサンリツ服部美術館です。東洋陶磁の中心になっている作品は、服部時計店三代目社長の服部正次の岳父である塩原又策のコレクションです。塩原又策は三共製薬の創業者で、茶人でもあり美術収集家でもありました。恩人である高峰譲吉の計画に従って大正8年(1919)、三共(株)の本社内に東洋アルミナム株式会社を立ち上げます。そしてアルミ精錬に必要な電力を得るため、黒部川の電源開発を進めていきます。工事作業員の福利厚生のため大正12年(1923)に黒薙から宇奈月の地に温泉が引かれます。宇奈月温泉の誕生です。

雉始雊(きじはじめてなく)

<雪に覆われた黒部川扇状地>

1月15日から七十二侯は「雉始雊(きじはじめてなく)」で、二十四節気「小寒」の末侯となります。雉子の求愛が始まる頃という意味です。

雉の雄は、雌を呼び込むために甲高い声で鳴きます。黒部川下流の黒部川扇状地では、雉の求愛行動が活発化する時期ですが、大地が雪に覆われているので、まだ先の話です。今日は延楽の松の内の終わりで、松飾りを取り外し左義長で見送ります。

左義長は、毎年2月の第一土曜日に開催される「宇奈月温泉雪カーニバル」に合わせて、宇奈月公園で行われます。左義長に点火されると、炎が夜空に勢いよく舞い上がり、歳神様もその炎に乗って天に帰るとされています。竹の炸裂音から、地域によっては、どんど焼きともいいます。併せて雪上花火が打ち上げられるので、凄まじい炸裂音が宇奈月温泉に響き渡ります。

今年の花火と左義長は、能登半島地震の被災地の復興と、被災された皆様の生活が平穏に戻ることを祈願して行います。

亀甲松竹梅蒔絵吸物椀

<亀甲仕上げ>

お椀全体に蒔絵を施してあると、周りが華やかになります。お椀も季節に合わせて使いたいものです。漆は年代を重ねると堅固になります。

雅膳の季節のうつわは「亀甲松竹梅蒔絵吸物椀」です。京塗りの吸い物椀です。

赤絵花鳥長方皿

<のどぐろ若狭焼>

匠膳の焼き物は、のど黒の若狭焼です。照り地を掛けてじっくり焼きます。 のど黒は、脂がのった美味しい魚で地元では魚神(ギョシン)ともいいます。 仕入れの関係で甘鯛に変更になる場合もあります。

季節のうつわは「赤絵花鳥長方皿」です。赤絵とは、釉薬をつけて本焼きした陶磁器に上絵具で文様や図案を描き、赤絵窯で焼き付ける加飾法及びその陶磁器のことです。赤絵染付の語から赤絵となりました。色絵、錦手、五彩とも呼びます。

日本における赤絵の始まりは、1647年頃、酒井田柿右衛門が中国人に学んで習得しました。そして赤を中心に豊かな色彩を表現できる技法が編み出されました。

日本の愛陶家は、中国陶磁を宋時代の宋赤絵、明時代の古赤絵、万歴赤絵、天啓赤絵、呉須赤絵、明末清初の南京赤絵と色々と呼び分けてきました。赤絵は何故か、朝鮮半島では試みられることがありませんでした。

1720年代、マイセン窯で白磁胎赤絵が焼かれるようになりました。モデルとなったのが日本から輸入されていた柿右衛門様式の色絵磁器です。