桃始笑(ももはじめてさく)

<花桃の小径>

3月10日から七十二侯は「桃始笑(ももはじめてさく)」で、二十四節気の「啓蟄」の次侯にあたります。桃の蕾はふくらみ、花が咲き始める頃という意味です。宇奈月温泉の桃の名所は、花桃の小径で、開花は1月先の4月末になります。

黒部川の水力にいち早く目をつけたのは福沢桃介です。桃介は、1907(明治40)年に日清紡績株式会社を創業します。翌年に東京下亀戸に第一工場を建て、続いて黒部川の水力電気を利用して黒部川下流域の入善町に第二工場を建てようという目論見をもって、1909(明治42)年に黒部川に訪れます。その後実地調査も行われ、明治43年5月に工場誘致に関する合意の調印式が東京事務所で行われましたが、経営をめぐって他の役員と対立して役員を辞任します。その結果、入善工場の計画も消えてしまいます。ちなみに福沢桃介が興した日清紡績株式会社のマークは桃です。

その後、福沢桃介は大阪送電株式会社(1919年、大正8年設立)、大同電力株式会社(1921年、大正10年設立)の社長となって木曽川水系の電源開発を進めます。大正11年に木曽川に建設した須原発電所に、ドイツから持ち帰った桃の木を植樹します。それは1本の木から3色の花を咲かせる3色桃でした。現在、木曽川水系は黒部川水系と共に関西電力㈱が開発管理しています。

アメリカ在住の科学者、高峰譲吉の命を受けて山田胖が1917(大正6)年に黒部川の電源立地調査に入ります。その後1919(大正8)年に高峰譲吉は、アルミ精錬会社である東洋アルミナム株式会社を設立して安価な電力を確保するために、黒部川の電源開発に着手します。その4年後に黒部川で初となる八太蔵発電所が完成します。しかしながら昭和44年の出水で土砂に埋まります。その発電所跡地に「黒部川開発100年」の節目となる2017年に関西電力から提供された100本の三色桃が記念植樹されました。その小径は桃の名所となり電源開発の歴史を物語っています。

コメントを残す