熊蟄穴(くまあなにこもる)

<北陸新幹線・黒部宇奈月温泉駅から白馬岳を望む>

12月12日から七十二侯は「熊蟄穴(くまあなにこもる)」で、二十四節気の「大雪」の次侯となります。熊が厳しい冬を乗り越えるために穴にこもる頃という意味です。

例年この時期は、シベリアから寒気団が南下し北陸に雪をもたらします。本格的な降雪は、二十四節気の「冬至」に入ってからと予測されます。

北陸新幹線が、新潟県と富山県の県境のトンネルを抜けて、富山県朝日町の平野部に出るとその眺めに圧倒されます。左手には新雪に輝く北アルプス、右手には能登半島と富山湾の景色が広がります。その名座と富山湾の深海の高低差は約4千メートル。まさに初冬の絶景です。

閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)

<雪化粧が美しい黒部の山々>

12月7日から二十四節気は「大雪」に入ります。木々の葉はすっかり散り終え、雪の日が多くなります。七十二侯は「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」で「大雪」の初侯となります。天も地も寒さで塞がれ、本格的な冬到来の頃という意味です。

宇奈月温泉を取り巻く山々は雪化粧。黒部川の水面近くの名残の紅葉が、季節の移ろいを感じさせます。季節は日一日と真冬へと向かっていきます。生き物たちは厳しく、美しい雪の世界で冬ごもりを始めます。

雪景色は、最も宇奈月温泉らしい風情を醸し出します。加えて湯量豊富な温泉と富山湾の海の幸は、芸術家達を魅了してきました。延楽にゆかりのある川合玉堂、中川一政、小杉放庵、堅山南風、榊原紫峰等の巨匠の作品が館内に展示されています。峡谷に面した延楽は、稜線の雪を愛でるのに最も適したところにあります。

橘始黄(たちばなはじめてきばむ)

<寒鰤の旨味が味わえる鰤しゃぶ>

12月2日から七十二侯は「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」で、二十四節気「小雪」の末侯となります。

師走に入り、橘が黄金に輝く実をつける頃という意味です。橘とは蜜柑や柚子などの食用になる柑橘類の総称で、古事記や日本書紀にも登場し、万葉集にも多く詠われています。京都御所や平安神宮では「左近の桜」に対して右側に植えられているのが「右近の橘」です。

宇奈月温泉では、これから冬型の気圧配置が強まり、北風が吹き荒れるようになります。日本海に雷鳴がとどろきだすと南下する寒鰤が富山湾の定置網に入ります。雪見露天風呂で温まり津合蟹、寒鰤を食する頃となります。とりわけ鰤しゃぶの旨い季節となります。

朔風払葉(きたかぜ このはをはらう)

<終宴:手塚雄二>

11月27日から七十二侯は「朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)」で、二十四節気「小雪」の次侯となります。朔とは北の方角なので朔風は北風のことです。北風が吹いて木の葉を散らす頃という意味です。

黒部峡谷鉄道は11月30日で営業終了となります。宇奈月温泉周辺の木々は、まだまだ色濃い紅葉の葉を残し、晩秋ならではの深い色合いとなっています。山彦遊歩道は、錦色に染まった落葉で綾錦の絨毯を敷き詰めたかのようです。

セレネ美術館の収蔵作品に、黒部の落葉をとらえた手塚雄二氏の「終宴」があります。セレネ美術館に収まった初期の作品で、奥黒部の十字峡での取材を終えて岐路についた時、断崖絶壁の日電歩道に色付いた葉がヒラヒラと舞い落ちてきました。晩秋の黒部の印象を描いた作品です。

これから黒部の峡谷は、雪と紅葉が織りなす幽玄の世界に入ります。

虹蔵不見(にじかくれてみえず)

<活け蟹料理:焼蟹>

11月22日から二十四節気は「小雪」となります。小雪は、降る雪の量がさほど多くないことに由来しています。本格的な冬はもう少し先ですが、宇奈月温泉では「風花」が舞うことがあります。

七十二侯は「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」で二十四節気「小雪」の初侯にあたります。「蔵」は隠れると読みます。この時期は日差しが弱まり、空が曇ることが多くなるため、虹が出てもすぐ消えてしまいます。

冬の宇奈月は食材が豊富です。とりわけ日本海で水揚げされる津合蟹(ズワイガニ)は、旨味を増してきます。延楽では満を持して活け蟹会席が始まりました。お造りの美味しさもさることながら、焼きガニの味わいは格別です。焼蟹は火加減や焼き方が難しいので、プロに焼いてもらうのが一番です。延楽では焼蟹の熟練者が、お客様の目の前で焼きます。

お部屋の露天風呂から晩秋の紅葉を眺めながら山間の温泉風情を楽しむ、晩秋から初冬にかけての延楽ならではの味わいです。

金盞香(きんせんかさく)

<雲に包まれる黒部峡谷>

11月17日から七十二侯は、「金盞香(きんせんかさく)」で二十四節気「立冬」の末侯になります。金盞香が咲き始める頃という意味です。金盞香とは水仙のことで、別名「雪中花」と呼ばれています。

五弁の花びらの真ん中にある副花冠が、金色の盃を表す「金盞(きんせん)」に似ているところから、金盞香と命名されました。水仙の花が咲くと、上品な香りが漂い始め、あたりの空気を清浄にしてくれます。

宇奈月温泉では、冷たい時雨が降ったりやんだりを繰り返しながら、一雨ごとに冬へと近づいていきます。雨上がりに発生する雲が山を覆い、その切れ間から深紅に染まった木々が現れてきます。

天候が回復に向かうと、雲が山の斜面を這い上がり稜線へと続きます。雨上がりの黒部峡谷は、錦秋の深まりを一段と幻想的に見せます。北から冷気が入ってくると山の稜線は雪化粧をし、黒部三段染めとなります。

地始凍(ちはじめてこおる)

<深まりゆく黒部の秋>

11月12日から七十二侯は「地始凍(ちはじめてこおる)」で、二十四節気の「立冬」の次侯となります。陽気が弱まって日ごとに冷え込みが増し、大地が凍り始める頃という意味です。

冷たい時雨が降ったりやんだりを繰り返し、ひと雨毎に冬へと近づいていきます。黒部峡谷の紅葉はまだまだ見ごろで、色濃い黄金色と深紅の照り葉が美しく輝いています。

宇奈月温泉散策コースの一つである「やまびこ遊歩道」は、様々な木々の落ち葉が折り重ねっているので気持ちよく歩けます。柑橘系の香りを漂わせるクスノキ科の壇香梅や、大葉黒文字の落ち葉は黄金色に輝いています。春にはいち早く花を咲かせる樹木達です。

山茶始開(つばきはじめてひらく)

<湯鏡に映る錦繍の峡谷>

11月7日から二十四節気は「立冬」に入ります。暦の上では冬の到来ですが、宇奈月温泉周辺の紅葉が最も美しく映える頃です。

七十二侯は「山茶始開(つばきはじめてひらく)」で、二十四節気「立冬」の初侯となります。太陽の気配が弱くなり、木枯らし1号が吹くのもこの頃です。他の草花が枯れてしまう中、鮮やかな濃紅な山茶花が咲き始める頃です。

奥黒部の山々は新雪で白さを増し、宇奈月温泉の山々の稜線は薄っすらと雪化粧。黒部の三段染めを楽しめる頃を迎えます。延楽の総檜露天風呂「華の湯」の湯鏡に、錦繍の峡谷が色濃く映り込みます。山が紅に染まると北西からの強い風が吹くようになり、本格的な冬の到来です。

富山湾では冬の味覚、津合蟹(ズワイガニ)漁が6日から解禁となりました。漁はこれから年末にかけてピークとなり、雄が3月20日まで、雌は1月20日まで漁期となります。

湯量豊富で肌に優しいお湯と津合蟹は、冬の宇奈月温泉の最高の取り合わせです。

楓蔦黄(もみじつたきばむ)

<遠山初雪:塩出英雄 セレネ美術館蔵>

11月2日から七十二侯は「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」で、二十四節気「霜降」の末侯となります。楓や蔦が黄色く色付き、紅葉が最も美しくなる頃という意味です。

宇奈月温泉周辺は黄色や赤に彩られ、日一日と色が濃くなります。黒部の谷では深紅がこれから鮮やかになります。黒部峡谷には楓の大樹が数多く自生し、なかでも赤く染まるのは、ハウチワカエデ、ウリハダカエデ、イロハモミジ、ヤマモミジ等があります。黄色く色づくものは、イタヤカエデ、ヒトツバカエデ等があり、針葉樹や常緑樹の緑と流れる水の青さなどが入り混じり、峡谷は極彩色に彩られます。

黒部峡谷・セレネ美術館の所蔵作品の中に、塩出英雄氏の「遠山初雪」があります。11月初旬、画伯を黒部峡谷鉄道の終点である欅平から工事用の立坑エレベーターを使い、展望台へとご案内しました。そこには初冠雪を戴いた白馬連山が神々しく輝いていました。左手の欅平側の名剣山は紅葉真っ盛りで、山々が赤と黄色に染まっていました。画伯は、黒部の渓谷は、宗教的な荘厳な輝きを帯びていると感嘆の声をあげられたのが印象に残っています。まさに極彩色を帯びた黒部奥山の秋です。

禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<芸術家を魅了した宇奈月温泉・露天風呂付き客室>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのもの すなわちみのる)」で、二十四節気の「処暑」の末侯となります。禾の文字は、イネ科の植物の穂の形からできており、豊かな実りを象徴しています。立春から数えて210日にあたる9月1日は、野分と呼ばれる強風が吹く頃で、農家の厄日とされました。台風到来の時節です。また関東大震災が起きた日でもあり、現在は防災の日となっています。

田圃では稲穂が膨らんで黄金色になる収穫の頃です。この豊かな実りを強風から守るため、9月1日~3日に風神鎮魂を願う踊り「おわら風の盆」として、富山市八尾の地で執り行われ受け継がれてきました。八尾は、井田川と別荘川が作り出した河岸段丘に拓かれた坂の町です。三味と胡弓が奏でる哀愁漂うおわらの旋律は、訪れる人々を魅了します。

新作おわらの代表作は、小杉放庵が詠んだ「八尾四季」で、 八尾の春夏秋冬を詠んだ4首で次のように構成されています。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
 露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

小杉放庵は、1881(明治44)年に日光市で生まれ、父は国学者で神官あり日光町長も務めていました。放菴は昭和8年12月に初の歌集「放菴歌集」を刊行した際、初めて放菴の号を用いました。それまでは小杉未醒で作品を発表しています。大正14年に東京大学安田講堂の壁画を手掛けたことでも有名です。

八尾四季は、昭和3年1月28日に八尾の開業医、川崎順二に招かれ、新しい品のある歌詞を依頼されます。そして翌年詠んだのが八尾四季です。

放庵は、太平洋戦争が始まると新潟県赤倉に疎開して、戦後そのまま居を構えました。八尾の行き帰りに延楽に逗留して、黒部の作品を創作しました。時には親友で洋画家の中川一政と一緒の時もありました。

おわらに訪れる芸術家たちを魅了したのは、肌に優しい宇奈月の温泉でした。今でも巨匠の足跡は館内に多く残されています。 当時の織部釉のタイルの浴槽を再現したのが、705号室の緑釉の浴槽です。湯舟からは、岩を食む激流とお二人ゆかりの琴音の滝が、眼下に見下ろせます。当時から変わらぬ宇奈月の魅力です。