牡丹華(ぼたんはなさく)

<牡丹:松尾敏男>

4月30日から七十二侯は「牡丹華(ぼたんはなさく)」で二十四節気「穀雨」の末侯となります。百花の王である牡丹が大輪の花を咲かせる頃という意味です。牡丹は、俳句では夏の季語で、春の終わりを惜しむように咲き、夏への橋渡しをしてくれます。宇奈月温泉は牡丹の開花にはまだ少し早いようです。

延楽は日本画壇の先生達がよく逗留される宿でした。日本美術院の堅山南風先生も常連で、そのお弟子さん達の作品も多く残っています。とりわけ松尾敏男画伯の「牡丹」は気品があり展示すると周りが華やかになります。本日からロビーに展示されます。

宇奈月温泉は山から吹き下ろす朝風は、まだ肌寒く雪が残った山肌と麓の新緑が、目に優しいコントラストを作り出します。雪が消えた原野には片栗(カタクリ)や黄華鬘(キケマン)の群生が現れ、春の陽光を浴びて一斉に花開します。時折、鶯の鳴き声が心地よく響きます。5月2日は、立春から数えて88日目となります。「夏も近づく八十八夜」です、夏がすぐそこまでやってきています。

玄鳥去(つばめさる)

<お部屋の露天風呂>

9月18日から七十二候は「玄鳥去(つばめさる)」で、二十四節気の「白露」の末候になります。春に日本にやってきた燕が、暖かい南へ帰る頃という意味です。20日は秋彼岸の入りで暑さ寒さは彼岸までの言葉通り、ようやく残暑が終わります。

燕が日本に渡ってくるのは、七十二侯の「玄鳥至(つばめきたる)」で今年は4月4日でした。宇奈月温泉で飛び交う燕は、尾羽が短い小型の岩燕です。つい最近まで黒部川の河原を飛び交っていました。黒部川の面した部屋から幾筋もの黒い線が観察でき、躍動感あふれるその姿は夏の象徴でした。その岩燕が去ると秋の気配が深まります。

陽が落ちて、草叢に集く虫の音を聞きながら部屋の露天風呂に体を沈めると、頬にあたる川風に冷たさを感じます。山間の出湯は、月影さやかな時を迎えます。延楽で至福のひとときをお過ごしください。

禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<芸術家を魅了した宇奈月温泉・露天風呂付き客室>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのもの すなわちみのる)」で、二十四節気の「処暑」の末侯となります。禾の文字は、イネ科の植物の穂の形からできており、豊かな実りを象徴しています。立春から数えて210日にあたる9月1日は、全国的に風の厄日とされ台風到来の時節です。また関東大震災が起きた日でもあり、防災の日となっています。

田圃では稲穂が膨らんで黄金色になる収穫の頃です。この豊かな実りを強風から守るため、毎年9月1日~3日に風神鎮魂を願う踊り「おわら風の盆」が、富山市八尾の地で受け継がれてきました。八尾は、井田川と別荘川が作り出した河岸段丘に拓かれた坂の町です。三味と胡弓が奏でる哀愁漂うおわらの旋律は、訪れる人々を魅了します。

新作おわらの代表作は、小杉放庵が詠んだ「八尾四季」で、 八尾の春夏秋冬を詠んだ4首で次のように構成されています。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
 露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

小杉放庵は、1881(明治44)年に日光市で生まれ、父は国学者で神官あり日光町長も務めていました。放菴は小杉未醒の時代、東京大学安田講堂の壁画を手掛けたことでも有名です。八尾四季は、昭和3年に八尾の開業医、川崎順二に招かれ新しい歌詞を依頼されて詠んだ歌です。

放庵は、太平洋戦争が始まると新潟県赤倉に疎開して、戦後そのまま居を構えました。八尾の行き帰りに延楽に逗留して、黒部の作品を創作しました。時には親友で洋画家の中川一政と一緒の時もありました。

おわらに訪れる芸術家たちを魅了したのは、肌に優しい宇奈月の温泉でした。今でも巨匠の足跡は館内に多く残されています。 当時の織部釉のタイルの浴槽を再現したのが、705号室の緑釉の浴槽です。昨年7月に完成しました。湯舟からは、岩を食む激流と、お二人ゆかりの琴音の滝が、眼下に見下ろせます。当時から変わらぬ宇奈月の魅力です。

天地始粛(てんちはじめてさむし)

<僧ケ岳登山道より黒部川扇状地を望む>

8月28日から七十二侯は「天地始粛(てんちはじめてさむし)」で、二十四節気「処暑」の次侯となります。粛には、鎮まるとか弱まるという意味あり、ようやく夏の気が鎮まり秋らしい涼しさが訪れる頃という意味です。日中は厳しい暑さが続きますが、少しずつ冷たい空気が漂うようになり秋雨前線の到来も間近となります。温泉街に吹く早朝の川風は、爽やかであり心身ともに心地良さを与えてくれます。

宇奈月の山々では、山野草が風に揺れて秋草の匂いを漂わします。宇奈月の名峰「僧ケ岳」は、立山連峰の北端に位置し日本海からの距離が最も近い山です。そのために標高が1855mにもかかわらず、日本海からの季節風による風衝地帯があり、針葉樹の高木から高山植物などの特有の植生がみられます。標高700~1600mまでに分布する雪椿の植生も興味深いものがあります。

山の開山は平安時代の初めの大同年間(806~810年)と伝えられています。名前は山頂近くに現れる雪形が、僧が馬を引く形に見えることに由来します。麓の人々は、雪形の消長を農作業の目安としていました。晴れた日には、中腹の登山道から黒部川扇状地が一望でき絶景です。黒部川のうねりは、かつての暴れ川の片鱗を見せています。中部山岳国立公園から外れていますが、秋の訪れを満喫できる名座の一つです。

紅花栄(べにばなさかう)

<黒部川扇状地を走る>

5月26日から七十二侯は「紅花栄(べにばなさかう)」で、二十四節気「小満」の次侯となります。

紅花が色付き、黄橙色から艶やかな紅色へと変わる頃という意味です。小満は、陽気盛んにして万物ようやく長じて満つということなので、紅花の濃厚な色合いは夏らしさを感じさせてくれます。紅花は原産が地中海沿岸と考えられ、シルクロードを経由して奈良時代に日本にもたらされ、口紅や布の染料や漢方薬などに利用されてきました。現在国内では山形県の一部でわずかな数しか作られていませんので、身近な花には程遠いようです。

田圃に水が張られる頃、黒部市ではカーター記念「黒部名水マラソン」が行われます。今年は5月22日に行われました。日本陸上競技連盟公認コースのフルマラソンで、黒部川扇状地、黒部川湧水群、黒部の海岸線を走ります。文字通り山、川、海を満喫できる自然豊かなマラソンコースとして人気があります。

1984年に、アメリカ合衆国第39代大統領ジミー・カーター氏がYKK創設50周年の招待で黒部市を訪れられました。その時、宮野運動公園で開催されたジョギング大会が始まりとなっています。昨年はコロナ禍により中止となりましたので、本年は39回目として開催されました。特にフルマラソンの参加者は、回数を重ねるごとにリピータの方が増え、質の高い内容となっています。