鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)

<黒部奥山の空に鷹が舞う日は間近>

7月17日から七十二侯は「鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)」で、二十四節気「小暑」の末侯になります。

春に生まれた鷹の幼鳥が、飛び方を覚える時期で巣立ちの準備をする頃という意味です。鷹は、古くから獲物を捕るための道具として大切にされてきた猛禽類です。鷹狩りの歴史を辿ると約四千年前に中央アジアの平原で始まり、日本へは四世紀半ばに、朝鮮半島を経て伝わって来たと言われています。

江戸時代には鷹狩は武家社会の中に溶け込んでいきます。とりわけ徳川家康はそれを好み、鷹術は一種の礼法と見なされました。家康が好んだ「祢津流」は全国の武家の間に広まりました。加賀藩や分家の富山藩にはこの流れを汲む「依田家」が鷹匠として抱えられ、文武二道を旨とする前田家で鷹匠文化として継承されてきました。武家にとって鷹狩りは、領内視察のほか軍事演習の意味合いもあったので、武芸奨励として受け継がれてきました。

黒部奥山は加賀藩の直轄地で、黒部奥山廻役という制度ができ定期的に調査に入っていました。役人達は鷹や犬鷲の飛ぶ様子で、位置確認や天候の変化を予測しました。今年の梅雨明けは6月28日で、例年より20日早くなりました。梅雨が明けると黒部奥山の空に鷹が高く舞い上がります。いよいよ盛夏の訪れです。

蓮始開(はすはじめてひらく)

<蓮の花が開くと清浄な香りに包まれる>

7月12日から七十二侯は「蓮始開(はすはじめてひらく)」で、二十四節気「小暑」の次侯になります。 池の水面に蓮の花が開き始める頃という意味です。

泥を俗世に見立て、泥より出でて泥に染まらぬ優雅で貴賓高き蓮の花は、仏教の悟りの境地に例えられます。加えてその崇高な清らかな花に極楽浄土を見るのです。修行僧のかぶり物は、若い蓮の葉を形取ってあり、未熟者であることを表します。仏教徒にとっては聖なる花です。

蓮が咲く頃は、梅雨明け間近です。豪雨により濁流となっていた黒部川は、徐々に水量が落ち着いてきました。河鹿蛙の鳴き声は、川風に乗って心地よく聞こえてきます。 峡谷探勝のシーズン到来です。

禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<おわら風の盆:坂の町を照らす西町のぼんぼり>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのものすなわちみのる)」で、二十四節気「処暑」の末侯にあたる。禾の文字は、植物の穂の形からできており豊かな実りを象徴する。稲穂が膨らんで黄金色になる頃という意味。

立春から数えて210日目にあたるこの時期は、「二百十日」と呼ばれ台風に見舞われやすい。そのため越中八尾では風害から農作物を守るため風邪鎮めの祭りが行われるようになった。それが「おわら風の盆」である。9月1日から9月3日まで各町内で洗練された踊りが披露される。普段は静かな山間の坂の町に、20万人のお客様が押しかける。哀愁を帯びた胡弓が奏でるおわらの調べが、訪れる人々を魅了する。今年は、残念ながらコロナ禍で全面中止となった。

新作おわらの代表作は、何といっても小杉放庵が詠んだ「八尾四季」である。放庵は日光出身で大正14年(1925)に東京大学安田講堂の壁画を描いたことでも知られている。昭和4年(1929)、おわらの育成に力を注いだ初代おわら保存会会長、川崎順二に招かれ、翌年詠んだ歌詞である。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
  露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

この八尾四季を基に若柳吉三郎が、春夏秋冬にそれぞれ異なった所作がある「四季の踊り(女踊り)」と「かかし踊り(男踊り)」を振り付ける。放庵が八尾で滞在したのは鏡町の旅館「杉風荘(さんぷうそう)」である。

放庵は、疎開のために新潟県赤倉に住居を移し、戦後もそこで暮らすようになる。春陽会を共に立ち上げた中川一政と延楽に度々訪れる。延楽には小杉放庵の足跡が数多く残っている。放庵が好んで使用した紙は半漉きの和紙で、放庵紙 と呼ばれる特注のものだった。

紅花栄(べにばなさかう)

<田植の準備ができた黒部川扇状地>

5月26日から七十二候は「紅花栄(べにばなさかう)」で二十四節気「小満」の次候にあたります。紅花が色付き黄橙色から艶やかな紅色へと変わる頃です。

小満は、陽気盛んにして万物ようやく長じて保つという事なので、草木には一段と生気がみなぎり、万物が次第に色味を増してきます。特に紅花の濃厚な色合いは夏らしさを感じさせます。この時期の天候も色で表現されます。やや強い南風は青嵐、雨は翠雨、緑雨、青雨と森羅万象すべて緑緑で、その濃淡のグラデーションを楽しませてくれる季節でもあります。

天地始粛(てんちはじめてさむし)

<僧ケ岳登山道より黒部川扇状地を望む>

8月28日から七十二侯は「天地始粛(てんちはじめてさむし)」で、二十四節気「処暑」の次侯となります。粛には、鎮まるとか弱まるという意味あり、ようやく夏の気が鎮まり秋らしい涼しさが訪れる頃という意味です。日中は厳しい暑さが続きますが、少しずつ冷たい空気が漂うようになり秋雨前線の到来も間近となります。温泉街に吹く早朝の川風は、爽やかであり心身ともに心地良さを与えてくれます。

宇奈月の山々では、山野草が風に揺れて秋草の匂いを漂わします。宇奈月の名峰「僧ケ岳」は、立山連峰の北端に位置し日本海からの距離が最も近い山です。そのために標高が1855mにもかかわらず、日本海からの季節風による風衝地帯があり、針葉樹の高木から高山植物などの特有の植生がみられます。標高700~1600mまでに分布する雪椿の植生も興味深いものがあります。

山の開山は平安時代の初めの大同年間(806~810年)と伝えられています。名前は山頂近くに現れる雪形が、僧が馬を引く形に見えることに由来します。麓の人々は、雪形の消長を農作業の目安としていました。晴れた日には、中腹の登山道から黒部川扇状地が一望でき絶景です。黒部川のうねりは、かつての暴れ川の片鱗を見せています。中部山岳国立公園から外れていますが、秋の訪れを満喫できる名座の一つです。