大雨時行(たいうときどきにふる)

<雪解け水が流れ込むうなづき湖>

8月2日から七十二侯は「大雨時行(たいうときどきにふる)」で、二十四節気「大暑」の末侯となります。宇奈月は連日、猛暑が続いています。これから暑さが最高潮を迎え、蝉の声が温泉街に響き渡り、強烈な日差しの日がしばらく続きます。暦の上では夏の終わりとなります。

高温多湿な季節風により黒部の山々には薄暗い雨雲が立ち込め、今にも激しい雨が襲ってくるようです。 入道雲が湧き上がるようになれば夕立の合図で、その大雨が大地を洗い流し、しばし夕暮れの涼を与えてくれます。先人たちはこの時期に降る大雨を「滝落とし」「篠突く雨」「銀竹」と情緒のある呼び方をしていました。近頃は異常気象により、その大雨がゲリラ豪雨になる場合があります。

黒部峡谷では、涼を求めてお客様で賑わう頃です。トロッコ電車は始発の宇奈月駅を出ると赤い新山彦鉄橋を渡ります。そして急カーブの2番トンネルと3番トンネルを抜けるとエメラルドグリーンの「うなづき湖」が見えてきます。 2001年に竣工した宇奈月ダムによって湛水されてできた湖です。 黒部峡谷には谷や沢多く存在し、八千八谷と呼ばれています。そこから供給される豊富な雪解け水は、黒部川の流れとなります。湖には雪解け水が満面に湛えられ、涼を含んだ爽やかな川風の源となります。

土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)

<見ごろを迎えた球紫陽花>

7月28日から七十二侯は「土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)」で、二十四節気「大暑」の次侯となります。溽暑(じょくしょう)とは湿気が多く、蒸し暑い状態のことを表します。梅雨の湿気を帯びた大地に、強い日差しが照りつけて蒸し暑くなる頃という意味です。例年この時期が梅雨明けとなります。

今年の梅雨明けは7月21日でした。それ以後、猛暑が続いています。溽暑(じょくしょう)の日が続くと雪解けが進み、黒部奥山の雪形は日々小さくなります。その雪解け水は宇奈月ダムによって湛水され、うなづき湖となります。その雪解け水が、ダム直下にある宇奈月発電所の発電機を回します。発電所から出た水は黒部川本流となり黒部川扇状地へと流れていきます。

富山県内では連日猛暑日が続いていますが、早朝の宇奈月温泉は冷気を含んだ川風が心地良く、爽やかにウォーキングができます。ウォーキングコースの山彦遊歩道の球紫陽花(タマアジサイ)の開花が始まりました。球状の蕾を包む苞が外れ、中から額紫陽花が現れます。日本海側の豪雪地帯に多く見られる品種で、薄紫色の両性花は涼やかさを届けてくれます。蕾の形が和名の由来となっています。

紅花栄(べにばなさかう)

<田植の準備ができた黒部川扇状地>

5月26日から七十二候は「紅花栄(べにばなさかう)」で二十四節気「小満」の次候にあたります。紅花が色付き黄橙色から艶やかな紅色へと変わる頃です。

小満は、陽気盛んにして万物ようやく長じて保つという事なので、草木には一段と生気がみなぎり、万物が次第に色味を増してきます。特に紅花の濃厚な色合いは夏らしさを感じさせます。この時期の天候も色で表現されます。やや強い南風は青嵐、雨は翠雨、緑雨、青雨と森羅万象すべて緑緑で、その濃淡のグラデーションを楽しませてくれる季節でもあります。

玄鳥去(つばめさる)

<お部屋の露天風呂>

9月18日から七十二候は「玄鳥去(つばめさる)」で、二十四節気の「白露」の末候になります。春に日本にやってきた燕が、暖かい南へ帰る頃という意味です。20日は秋彼岸の入りで暑さ寒さは彼岸までの言葉通り、ようやく残暑が終わります。

燕が日本に渡ってくるのは、七十二侯の「玄鳥至(つばめきたる)」で今年は4月4日でした。宇奈月温泉で飛び交う燕は、尾羽が短い小型の岩燕です。つい最近まで黒部川の河原を飛び交っていました。黒部川の面した部屋から幾筋もの黒い線が観察でき、躍動感あふれるその姿は夏の象徴でした。その岩燕が去ると秋の気配が深まります。

陽が落ちて、草叢に集く虫の音を聞きながら部屋の露天風呂に体を沈めると、頬にあたる川風に冷たさを感じます。山間の出湯は、月影さやかな時を迎えます。延楽で至福のひとときをお過ごしください。

禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<芸術家を魅了した宇奈月温泉・露天風呂付き客室>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのもの すなわちみのる)」で、二十四節気の「処暑」の末侯となります。禾の文字は、イネ科の植物の穂の形からできており、豊かな実りを象徴しています。立春から数えて210日にあたる9月1日は、全国的に風の厄日とされ台風到来の時節です。また関東大震災が起きた日でもあり、防災の日となっています。

田圃では稲穂が膨らんで黄金色になる収穫の頃です。この豊かな実りを強風から守るため、毎年9月1日~3日に風神鎮魂を願う踊り「おわら風の盆」が、富山市八尾の地で受け継がれてきました。八尾は、井田川と別荘川が作り出した河岸段丘に拓かれた坂の町です。三味と胡弓が奏でる哀愁漂うおわらの旋律は、訪れる人々を魅了します。

新作おわらの代表作は、小杉放庵が詠んだ「八尾四季」で、 八尾の春夏秋冬を詠んだ4首で次のように構成されています。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
 露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

小杉放庵は、1881(明治44)年に日光市で生まれ、父は国学者で神官あり日光町長も務めていました。放菴は小杉未醒の時代、東京大学安田講堂の壁画を手掛けたことでも有名です。八尾四季は、昭和3年に八尾の開業医、川崎順二に招かれ新しい歌詞を依頼されて詠んだ歌です。

放庵は、太平洋戦争が始まると新潟県赤倉に疎開して、戦後そのまま居を構えました。八尾の行き帰りに延楽に逗留して、黒部の作品を創作しました。時には親友で洋画家の中川一政と一緒の時もありました。

おわらに訪れる芸術家たちを魅了したのは、肌に優しい宇奈月の温泉でした。今でも巨匠の足跡は館内に多く残されています。 当時の織部釉のタイルの浴槽を再現したのが、705号室の緑釉の浴槽です。昨年7月に完成しました。湯舟からは、岩を食む激流と、お二人ゆかりの琴音の滝が、眼下に見下ろせます。当時から変わらぬ宇奈月の魅力です。

天地始粛(てんちはじめてさむし)

<僧ケ岳登山道より黒部川扇状地を望む>

8月28日から七十二侯は「天地始粛(てんちはじめてさむし)」で、二十四節気「処暑」の次侯となります。粛には、鎮まるとか弱まるという意味あり、ようやく夏の気が鎮まり秋らしい涼しさが訪れる頃という意味です。日中は厳しい暑さが続きますが、少しずつ冷たい空気が漂うようになり秋雨前線の到来も間近となります。温泉街に吹く早朝の川風は、爽やかであり心身ともに心地良さを与えてくれます。

宇奈月の山々では、山野草が風に揺れて秋草の匂いを漂わします。宇奈月の名峰「僧ケ岳」は、立山連峰の北端に位置し日本海からの距離が最も近い山です。そのために標高が1855mにもかかわらず、日本海からの季節風による風衝地帯があり、針葉樹の高木から高山植物などの特有の植生がみられます。標高700~1600mまでに分布する雪椿の植生も興味深いものがあります。

山の開山は平安時代の初めの大同年間(806~810年)と伝えられています。名前は山頂近くに現れる雪形が、僧が馬を引く形に見えることに由来します。麓の人々は、雪形の消長を農作業の目安としていました。晴れた日には、中腹の登山道から黒部川扇状地が一望でき絶景です。黒部川のうねりは、かつての暴れ川の片鱗を見せています。中部山岳国立公園から外れていますが、秋の訪れを満喫できる名座の一つです。