深山苧環(ミヤマオダマキ) キンポウゲ科

<霧に包まれてひっそり咲く>

深山苧環(ミヤマオダマキ)は、宇奈月の高山帯の岩場や岩礫地に自生する、キンポウゲ科の多年草です。

根茎は太く、茎の高さは10~20cmで上部でまばらに分岐します。葉は根出葉と茎葉があり、根出葉は2回3出複葉で3~10枚出ます。小葉は扇形で3裂して裂片はくさび形をなし、縁には丸く大きな鋸歯があります。

茎頂に花径3cmほどの花を1~2個下向きにつけます。外側の鮮紫色の花弁状のものは萼片で5個あり広卵状披針形です。内側の5個の花弁はやや短く長方形で、弁先は黄白色で基部は紫色で長い距があります。

和名は、花の形が紡いだ麻糸を巻いた苧環に似ていることに由来しています。

江戸切子霰紋蓋向

<カットが美しい霰紋>

梅雨が明けると、夏野菜の収穫が本格的なる。雅膳の一皿は、特製の出汁と野菜本来の旨味を生かした夏野菜の含め煮です。

季節のうつわは「江戸切子霰紋蓋向」です。霰紋は、地面に降る霰を図案化したもので、古くから多用された紋です。この他に細かいカット交差の魚子紋、麻の葉図案の糸麻の葉紋、麻の葉紋、さらには矢来紋、雲の巣紋、底菊紋、七宝紋、市松紋、菊繋ぎ紋など様々な紋が作られました。江戸切子の風情と技が現代に継承されています。

岩爪草(イワツメクサ) ナデシコ科

<黒部峡谷・清水岳の頂上付近の岩場に群生する>

岩爪草(イワツメクサ)は、宇奈月の高山の岩場に群生するナデシコ科の多年草です。

茎は直立し、高さ5~20cmなります。葉は細長く密集します。花は白色で5弁花ですが、真ん中に深い切れ込みがあるので花弁が10枚に見えます。ナデシコ科の深山繁縷(ミヤマハコベ)も同様です。

宇奈月の名座「清水岳(標高2603m)」は、白馬岳から黒部峡谷・祖母谷温泉へ至る登山道の途中にある山で、白馬岳の前衛峰に当たります。山頂付近は傾斜がなだらかで高山植物が多く分布します。黒羽川扇状地を眼下に眺めながらの雪渓下りは最高の醍醐味です。

得撫草(ウルップソウ) ゴマノハグサ科

<白馬岳の代表的な高山植物>

得撫草(ウルップソウ)は、宇奈月の高山の斜面や砂礫地に生えるゴマノハグサ科多年草です。白馬大雪渓を上り、途中から登山道に入って迎えてくれるのは深山苧環(ミヤマオダマキ)。村営山小屋あたりから得撫草が迎えてくれます。

花径は直立し高さは15cm前後で、葉は広楕円形で肉質で表面につやがあります。青紫色の花を穂状に多数つけ、雄蕊は花弁よりも短くなっています。花穂は円柱形で各花に苞があります。

和名は、千島列島の得撫島(ウルップトウ)で最初に発見されたことに由来します。

褄取草(ツマトリソウ) サクラソウ科

<小さすぎて見過ごしてしまう、可憐な花です>

褄取草(ツマトリソウ)は、宇奈月の亜高山の笹藪の中に自生するサクラソウ科の多年草です。

茎の高さは10cmぐらいで分岐せずに直立し、葉は広披針形で互生し、茎の上部では輪生します。雪解けの夏に茎の上部に花柄を出し1.5cmぐらいの白花を1花つけますが、小型なので意外と見過ごしてしまいます。萼は7片に裂け、花冠も7裂し花びらが7枚のように見えます。

和名は、白い花弁の先端に淡紅色の縁取りが、鎧の褄取威(つまどりおどし)に似ている事に由来します。宇奈月では白花が多いです。

仁清色絵団扇形小鉢

<料理に夏の風物詩は外せない>

蛍が宇奈月公園の小川で、飛び交うようになりました。黒部川の川風が涼やかに感じられる季節です。黒部川の河原から河鹿の鳴き声も心地よく伝わってきます。器と料理で涼を表現します。

季節のうつわは「仁清色絵団扇形小鉢」です。見ているだけで川風が感じられます。

染付木ノ葉形平皿

<栄螺のもろみと辛子和え>

富山湾の夏の味覚に栄螺(サザエ)の壺焼きがあります。栄螺を出汁で含め煮にして、もろみと和辛子を和えます。サザエの旨みに出汁ともろみが合わさり、和辛子の辛味が残暑の暑気を払ってくれます。滞在料理の一皿です。

合わせる地酒は、富山市岩瀬の桝田酒造の「満寿泉大吟醸」です。北前船の寄港地として栄えた、港町に佇む歴史ある酒蔵です。

季節のうつわは、「染付木ノ葉形平皿」です。白磁に染付の藍青色が涼やかさを感じさせます。

衣笠草(キヌガサソウ) ユリ科

<大形の亜高山植物・衣笠草>

衣笠草(キヌガサソウ)は、宇奈月の亜高山の沢沿いに自生する、大型のユリ科の多年草です。

根茎は太く塊茎となり、丸くて太い茎は1本直立し、高さが30~70cmぐらいになります。葉は、茎の先に7~10個、輪生し、倒卵状楕円形で大きいもので長さ25cmにもなります。

茎頂に1花を、上向きに咲かせます。花の色は花弁状で黄白色から淡紅色になり、最終には淡緑色になります。

鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)

<黒部奥山の空に鷹が舞う日は間近>

7月17日から七十二侯は「鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)」で、二十四節気「小暑」の末侯になります。

春に生まれた鷹の幼鳥が、飛び方を覚える時期で巣立ちの準備をする頃という意味です。鷹は、古くから獲物を捕るための道具として大切にされてきた猛禽類です。鷹狩りの歴史を辿ると約四千年前に中央アジアの平原で始まり、日本へは四世紀半ばに、朝鮮半島を経て伝わって来たと言われています。

江戸時代には鷹狩は武家社会の中に溶け込んでいきます。とりわけ徳川家康はそれを好み、鷹術は一種の礼法と見なされました。家康が好んだ「祢津流」は全国の武家の間に広まりました。加賀藩や分家の富山藩にはこの流れを汲む「依田家」が鷹匠として抱えられ、文武二道を旨とする前田家で鷹匠文化として継承されてきました。武家にとって鷹狩りは、領内視察のほか軍事演習の意味合いもあったので、武芸奨励として受け継がれてきました。

黒部奥山は加賀藩の直轄地で、黒部奥山廻役という制度ができ定期的に調査に入っていました。役人達は鷹や犬鷲の飛ぶ様子で、位置確認や天候の変化を予測しました。今年の梅雨明けは6月28日で、例年より20日早くなりました。梅雨が明けると黒部奥山の空に鷹が高く舞い上がります。いよいよ盛夏の訪れです。

小岩鏡(コイワカガミ) イワウメ科

<超小型なので見過ごしてしまう>

小岩鏡(コイワカガミ)は、宇奈月の高山帯の草地や岩場に自生するイワウメ科の多年草です。

茎は短く地を這って分枝し、先に長柄ある根出葉を束生します。葉身は円形で鋸歯があり革質で表面は光沢があります。7月高さ5cmの花径を伸ばし、3~8個の花を総状花序を付けます。花は淡紅色で花冠は漏斗形で5裂し、縁はさらに細裂しています。葉の長さ幅が3cm以下のものを小岩鏡といいます。

和名は、岩場に生え葉が鏡のごとく光沢があることに由来します。