虹蔵不見(にじかくれてみえず)

<活け蟹料理:焼蟹>

11月22日から二十四節気は「小雪」となります。小雪は、降る雪の量がさほど多くないことに由来しています。本格的な冬はもう少し先ですが、宇奈月温泉では「風花」が舞うことがあります。七十二侯は「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」で二十四節気「小雪」の初侯にあたります。「蔵」は隠れると読みます。この時期は日差しが弱まり、空が曇ることが多くなるため、虹が出てもすぐ消えてしまいます。

冬の宇奈月は食材が豊富です。とりわけ日本海で水揚げされる津合蟹(ズワイガニ)は、旨味を増してきます。延楽では満を持して活け蟹会席が始まりました。お造りの美味しさもさることながら、焼きガニの味わいは格別です。焼蟹は火加減や焼き方が難しいので、プロに焼いてもらうのが一番です。延楽では焼蟹の熟練者が、お客様の目の前で焼きます。

お部屋の露天風呂から晩秋の紅葉を眺めながら山間の温泉風情を楽しむ、晩秋から初冬にかけての延楽ならではの味わいです。

金盞香(きんせんかさく)

<雲に包まれる黒部峡谷>

11月17日から七十二侯は、「金盞香(きんせんかさく)」で二十四節気「立冬」の末侯になります。金盞香が咲き始める頃という意味です。金盞香とは水仙のことで、別名「雪中花」と呼ばれています。

五弁の花びらの真ん中にある副花冠が、金色の盃を表す「金盞(きんせん)」に似ているところから、金盞香と命名されました。水仙の花が咲くと、上品な香りが漂い始め、あたりの空気を清浄にしてくれます。

宇奈月温泉では、冷たい時雨が降ったりやんだりを繰り返しながら、一雨ごとに冬へと近づいていきます。雨上がりに発生する雲が山を覆い、その切れ間から深紅に染まった木々が現れてきます。

天候が回復に向かうと、雲が山の斜面を這い上がり稜線へと続きます。雨上がりの黒部峡谷は、錦秋の深まりを一段と幻想的に見せます。北から冷気が入ってくると山の稜線は雪化粧をし、黒部三段染めとなります。

地始凍(ちはじめてこおる)

<深まりゆく黒部の秋>

11月12日から七十二侯は「地始凍(ちはじめてこおる)」で、二十四節気の「立冬」の次侯となります。陽気が弱まって日ごとに冷え込みが増し、大地が凍り始める頃という意味です。

冷たい時雨が降ったりやんだりを繰り返し、ひと雨毎に冬へと近づいていきます。黒部峡谷の紅葉はまだまだ見ごろで、色濃い黄金色と深紅の照り葉が美しく輝いています。

宇奈月温泉散策コースの一つである「やまびこ遊歩道」は、様々な木々の落ち葉が折り重ねっているので気持ちよく歩けます。柑橘系の香りを漂わせるクスノキ科の壇香梅や、大葉黒文字の落ち葉は黄金色に輝いています。春にはいち早く花を咲かせる樹木達です。

山茶始開(つばきはじめてひらく)

<湯鏡に映る錦繍の峡谷>

11月7日から二十四節気は「立冬」に入ります。暦の上では冬の到来ですが、宇奈月温泉周辺の紅葉が最も美しく映える頃です。

七十二侯は「山茶始開(つばきはじめてひらく)」で、二十四節気「立冬」の初侯となります。太陽の気配が弱くなり、木枯らし1号が吹くのもこの頃です。他の草花が枯れてしまう中、鮮やかな濃紅な山茶花が咲き始める頃です。

奥黒部の山々は新雪で白さを増し、宇奈月温泉の山々の稜線は薄っすらと雪化粧。黒部の三段染めを楽しめる頃を迎えます。延楽の総檜露天風呂「華の湯」の湯鏡に、錦繍の峡谷が色濃く映り込みます。山が紅に染まると北西からの強い風が吹くようになり、本格的な冬の到来です。

富山湾では冬の味覚、津合蟹(ズワイガニ)漁が6日から解禁となりました。漁はこれから年末にかけてピークとなり、雄が3月20日まで、雌は1月10日まで漁期となります。

湯量豊富で肌に優しいお湯と津合蟹は、冬の宇奈月温泉の最高の取り合わせです。

楓蔦黄(もみじつたきばむ)

<遠山初雪:塩出英雄 セレネ美術館蔵>

11月2日から七十二侯は「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」で、二十四節気「霜降」の末侯となります。楓や蔦が黄色く色付き、紅葉が最も美しくなる頃という意味です。

宇奈月温泉周辺は黄色や赤に彩られ、これからその濃さが日一日と増してきます。黒部の谷では深紅がこれから鮮やかになります。黒部峡谷には楓の大樹が数多く自生し、なかでも赤く染まるのは、ハウチワカエデ、ウリハダカエデ、イロハモミジ、ヤマモミジ等があります。黄色く色づくものは、イタヤカエデ、ヒトツバカエデ等があり、針葉樹や常緑樹の緑と流れる水の青さなどが入り混じり、峡谷は極彩色に彩られます。

黒部峡谷・セレネ美術館の所蔵作品の中に、塩出英雄氏の「遠山初雪」があります。11月初旬、画伯を黒部峡谷鉄道の終点である欅平から工事用の立坑エレベーターを使い、展望台へとご案内しました。そこには初冠雪を戴いた白馬連山が神々しく輝いていました。左手の欅平側の名剣山は紅葉真っ盛りで、山々が赤と黄色に染まっていました。画伯は、黒部の渓谷は、宗教的な荘厳な輝きを帯びていると感嘆の声をあげられたのが印象に残っています。まさに極彩色を帯びた黒部奥山の秋です。

霎時施(こさめ ときどきふる)

<黒部川扇状地から後立山連峰を望む>

10月28日から七十二侯は「霎時施(こさめときどきふる)」で、二十四節気「霜降」の次侯となります。霎(こさめ)は、小雨ではなく通り雨で時雨(しぐれ)のことです。一雨毎に気温が下がり、冬が近づく頃という意味です。一雨毎に気温が一度下がるので「一雨一度」とはよく言ったものです。

秋晴れの下、黒部川河川敷から上流を望むと初冠雪を戴いた後立山連峰が白く輝いています。富山県と長野県の境をなしている連山です。左から白馬岳(2932m)、旭岳(2867m)、清水岳(2603m)の名座で、さらには五竜岳(2814m)、鹿島槍ヶ岳(2889m)と連なっています。いずれも黒部川を育む名座です。

秋時雨は、冬支度を始める合図で、黒部川の支流ではサクラマスの産卵が始まっています。黒部峡谷鉄道の最終駅である標高600mの欅平付近は、今が紅葉真っ盛りです。黒部峡谷の紅葉前線は、宇奈月温泉へと約10日間かけて降りてきます。山間の出湯を取り囲むは山々は、いよいよ錦繡の時を迎えます。

霜始降(しもはじめてふる)

<昭和天皇 御製>

10月23日から二十四節気は「霜降」となります。秋は深まり暖が欲しくなる頃、里山には霜が降ります。「霜降」が過ぎれば立冬となるので、今は秋から冬への変わり目で、これからが黒部峡谷の紅葉が見ごろとなります。大陸からの寒気が入ると気温が急激に下がり、雨が雪に変わって立山連峰、後立山連峰の名座が白く輝くようになります。

七十二侯は「霜始降(しもはじめてふる)」で、二十四節気「霜降」の初侯となります。延楽から対峙する山の稜線は、朝夕の冷気で紅葉が始まり、黒部川支流の弥太蔵谷では、サクラマスの産卵が始まります。

昭和33年10月21日、昭和天皇が延楽で宿泊されたときに詠まれた御製が残されています。

(御製 宇奈月の宿より黒部川を望む)
くれないに 染め始めたる 山あいを
  流るる水の 清くもあるかな
 
 侍従 入江相政 謹書

宿の部屋から眺める黒部の山々は色付き始め、峡谷を流れる水はますます清く透明度増してきます。今も昔も変わらぬ黒部峡谷の美しさです。

蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)

<「秋草の図」塩崎逸陵>

10月18日から七十二侯は、「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」で二十四節気「寒露」の末侯となります。夜は肌寒くなり、朝夕の露が冷たく感じられるようになります。「秋の日はつるべ落とし」という言葉の如く、太陽があっという間に沈んで日が短くなると、蟋蟀(きりぎりす)が戸口で鳴くようになります。昔はコオロギのことをキリギリスと呼んでいました。

一雨ごとに秋の深まりが感じられ、黒部の山々の稜線は紅に染まりつつあります。17日の富山県内は上空に寒気が流れ込み、北アルプスの名座は雪化粧しました。黒部の流れる水は透明度が増し、サケの遡上が始まります。サクラマスは皐月の頃に遡上して、今は深い淵に潜んでいます。外気温が下がると支流へ移動して産卵の頃合いを窺っています。

寒露に入ると部屋の室礼も変わります。お軸は塩﨑逸陵の「秋草の図」です。塩﨑逸陵は、富山県高岡市出身の日本画家で東京美術学校(東京藝術大学)に学びます。川端玉章、寺崎広業に師事し、気品あふれる花鳥画や人物画を描きました。芸術家の足跡が延楽に残されています。まさに旅館ならではの文化です。

菊花開(きくのはなひらく)

<個室お食事処の室礼:堂本印象「国光」>

10月13日から七十二侯は「菊花開(きくのはなひらく)」で、二十四節気の「寒露」の次侯にあたります。菊が咲き始める頃という意味です。各地で菊祭りが開かれ、朝晩の冷え込みが肌で感じられるようになり、金木犀の香りが漂い始めます。

立山黒部の紅葉前線は、9月中旬の立山室堂平(2450m)付近から次第に高度を下げ、今は黒部平(1828m)付近が紅葉の見ごろです。「秋の日はつるべ落とし」と言うくらいに驚くほど日が短くなり、太陽はあっという間に沈み夜空には冴え冴えと月や星が輝く頃でもあります。

清少納言は、枕草子で「秋は夕暮れ 夕日のさして山の端いと近うなりたるに 鳥の寝どころへ行くとて 三つ四つ二つ三つなど 飛びいそぐさえあはれなり まいて雁などの連ねたるが いとちいさく見ゆるはいとおかし 日入り果てて 風の音虫の音など はた言ふべきにあらず 」と綴っています。山間の出湯に身を委ね、夕暮れ時の虫や風の音を聞きながら、枕草子の風情に触れてみるのも旅ならではの楽しみ方です。

鴻雁来(こうがんきたる)

<黒部川支流・弥太蔵谷>

10月8日から二十四節気は「寒露」となります。夜空に輝く星が冴える頃、秋が徐々に深まり夜は肌寒く、朝夕の露が一層冷たく感じられるようになります。七十二侯は「鴻雁来(こうがんきたる)」で、雁が北から渡ってくる頃という意味です。

これに対して半年前の七十二侯は「鴻雁北(こうがんかえる)」、雁が北に帰る頃で今年は4月10日でした。このように七十二侯は、季節の変わり目を気象変化や動物の行動変化で捉え、漢字3文字ないし4文字で表します。日本人の豊かな感性が育んだ暦といえます。

黒部川は、流れる水の透明度を増しながらサケの遡上を待っています。川沿いに設けられたやまびこ遊歩道には冷たい露に覆われた野菊が花を開き、紫式部の小さな実も色づき始めます。支流の弥太蔵谷に白鷺が現れるようになると、いよいよサクラマスの遡上が間近です。黒部峡谷も山粧う季節の到来となります。