鴬宿梅蒔絵お椀

<鶯の宿る梅>

鶯宿梅とは、鶯の宿る梅の意で、紀貫之の娘、紀内侍の家にあった梅の名前です。「大鏡」によれば、村上天皇のとき清涼殿の前の梅が枯れたため西京のある家から掘り取らせてきましたが、木の枝に「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答えん」という歌が結び付けてありました。天皇はその家の主が紀内侍であったことを知り、深く感じ心残りなことをしたと思ったという故事によります。

二十四節気「雨水」の末候に入ると、春を告げる魚、はちめがおいしくなります。雅膳の吸い物ははちめの葛打と干口子です。季節のうつわは「鶯宿梅蒔絵お椀」です。

「大鏡」の鶯宿梅の子孫は、現在京都市上京区の林光院に植え替えられています。林光院は臨済宗相国寺派大本山・相国寺の塔頭で、もとは二条西ノ京にあり、そこは紀貫之邸があった所です。

祥瑞一閑人向付

<祥瑞の鉢の写し>

3月に入ると細魚が獲れ始めます。季節のうつわは「祥瑞一閑人向付」です。
一閑人とは、蓋置、火入などで、小さな人形が一つ、内側をのぞくような姿でつけられている意匠のものをいいます。人形を閑人に見立てた説もありますが、井戸を看る意味の「井看人」とも書きます。

明時代(17世紀)の景徳鎮で焼かれた祥瑞の鉢に、見込み口返に一閑人が付いている向付があります。これはそれの写しです。