木米写赤地唐子四方向付

<てっぴ(とらふぐ皮湯引き)>

雅膳の滞在料理にとらふぐを使うことがあります。欠かせないのが皮の湯引き、てっぴです。峡谷には時折風花が舞い、黒部の山々には雪が残っています。そんな景色を眺めながら食す白いてっぴには、赤絵の器が合います。

季節の器は、「木米写赤地唐子四方向付」です。青木木米は1767年(明和4年)に京都で生まれた江戸後期の京焼の陶工です。師は文人陶工奥田潁川です。木米は、中国の染付、赤絵、青磁、交趾焼の技術と様式を受け、南蛮焼や朝鮮李朝時代の陶磁の作風も加味して多種多彩な作品を残しました。

九谷焼との関係は、1806年、加賀藩は殖産政策の一つとして窯業を再開します。まず京都から青木木米を招いて金沢卯辰山に藩営の春日山窯を開窯します。木米は2年ほどで帰京し窯は衰微してしまいますが、彼がもたらした陶器技術はしっかりと受け継がれ、各地で窯が造られて再興九谷の時代が始まります。