黄鶯睍睆(うぐいすなく)

<安田靫彦「春到」>

2月9日から七十二侯は「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」で、二十四節気「立春」の次侯になります。山里に春を告げる鶯が鳴く頃と言う意味です。宇奈月温泉周辺では3月初旬から中旬になりそうです。睍睆とは声の美しい様子を表す畳韻の擬態語で、畳韻とは韻が同じ漢字2文字を重ねることとあります。

今年は大寒に入ってから雪が降り、立春を迎えると大陸からの寒気団が再び南下します。数日寒い日が続きますが、長続きはしません。明け方の雪は、山一面に雪の花を咲かせ稜線が幻想的に見えます。山水画のような景色を、露天風呂に浸りながら眺める。まさに至福のひと時です。

ギャラリーでは、安田靫彦の「春到」が展示されています。寒中、梅香を漂わせるのは白梅です。画伯は、ご自宅の庭の花をつけた梅ケ枝を数多く描いておられます。富山気象台から開花宣言が出されるのはもうすぐです。

東風解氷(はるかぜこおりをとく)

<日足が伸びて、春めく黒部の山>

2月4日から二十節気は「立春」を迎えます。立春は冬が極まり春の気配が立ち始める日とされ、一年の始まりの節気でもあります。旧暦の元旦は立春に近い新月の日で、正月を新春、初春と呼ぶのはこの名残です。

この日から立夏の前日(5月4日)までが春となります。立春は、あらゆる節日の基準日となります。おわら風の盆に謡われる二百十日は、立春から数えると9月1日になります。八十八夜も同様で暦に記して農作業の目安としました。

七十二侯の始まりは、「東風解氷(はるかぜこおりをとく)」で二十四節気「立春」の初侯となります。東風とは春風のことで東から温かい風が吹き、張り詰めていた氷を溶かし始める頃という意味です。今日から日足が伸びて木々も次第に芽吹き始め、春の兆しが少しずつ現れる頃です。禅寺では早朝に立春大吉と書いた厄除けの紙札を貼って、邪気を払います。

禾乃登(こくのものすなわちみのる)

<おわら風の盆:坂の町を照らす西町のぼんぼり>

9月2日から七十二侯は「禾乃登(こくのものすなわちみのる)」で、二十四節気「処暑」の末侯にあたる。禾の文字は、植物の穂の形からできており豊かな実りを象徴する。稲穂が膨らんで黄金色になる頃という意味。

立春から数えて210日目にあたるこの時期は、「二百十日」と呼ばれ台風に見舞われやすい。そのため越中八尾では風害から農作物を守るため風邪鎮めの祭りが行われるようになった。それが「おわら風の盆」である。9月1日から9月3日まで各町内で洗練された踊りが披露される。普段は静かな山間の坂の町に、20万人のお客様が押しかける。哀愁を帯びた胡弓が奏でるおわらの調べが、訪れる人々を魅了する。今年は、残念ながらコロナ禍で全面中止となった。

新作おわらの代表作は、何といっても小杉放庵が詠んだ「八尾四季」である。放庵は日光出身で大正14年(1925)に東京大学安田講堂の壁画を描いたことでも知られている。昭和4年(1929)、おわらの育成に力を注いだ初代おわら保存会会長、川崎順二に招かれ、翌年詠んだ歌詞である。

<八尾四季>
ゆらぐつり橋手に手をとりて
 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりかあの灯火は
 飛んでゆきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道わかれてくれば
  露か時雨か オワラ はらはらと
若しや来るかと窓押しあけて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

この八尾四季を基に若柳吉三郎が、春夏秋冬にそれぞれ異なった所作がある「四季の踊り(女踊り)」と「かかし踊り(男踊り)」を振り付ける。放庵が八尾で滞在したのは鏡町の旅館「杉風荘(さんぷうそう)」である。

放庵は、疎開のために新潟県赤倉に住居を移し、戦後もそこで暮らすようになる。春陽会を共に立ち上げた中川一政と延楽に度々訪れる。延楽には小杉放庵の足跡が数多く残っている。放庵が好んで使用した紙は半漉きの和紙で、放庵紙 と呼ばれる特注のものだった。

紅花栄(べにばなさかう)

<田植の準備ができた黒部川扇状地>

5月26日から七十二候は「紅花栄(べにばなさかう)」で二十四節気「小満」の次候にあたります。紅花が色付き黄橙色から艶やかな紅色へと変わる頃です。

小満は、陽気盛んにして万物ようやく長じて保つという事なので、草木には一段と生気がみなぎり、万物が次第に色味を増してきます。特に紅花の濃厚な色合いは夏らしさを感じさせます。この時期の天候も色で表現されます。やや強い南風は青嵐、雨は翠雨、緑雨、青雨と森羅万象すべて緑緑で、その濃淡のグラデーションを楽しませてくれる季節でもあります。

天地始粛(てんちはじめてさむし)

<僧ケ岳登山道より黒部川扇状地を望む>

8月28日から七十二侯は「天地始粛(てんちはじめてさむし)」で、二十四節気「処暑」の次侯となります。粛には、鎮まるとか弱まるという意味あり、ようやく夏の気が鎮まり秋らしい涼しさが訪れる頃という意味です。日中は厳しい暑さが続きますが、少しずつ冷たい空気が漂うようになり秋雨前線の到来も間近となります。温泉街に吹く早朝の川風は、爽やかであり心身ともに心地良さを与えてくれます。

宇奈月の山々では、山野草が風に揺れて秋草の匂いを漂わします。宇奈月の名峰「僧ケ岳」は、立山連峰の北端に位置し日本海からの距離が最も近い山です。そのために標高が1855mにもかかわらず、日本海からの季節風による風衝地帯があり、針葉樹の高木から高山植物などの特有の植生がみられます。標高700~1600mまでに分布する雪椿の植生も興味深いものがあります。

山の開山は平安時代の初めの大同年間(806~810年)と伝えられています。名前は山頂近くに現れる雪形が、僧が馬を引く形に見えることに由来します。麓の人々は、雪形の消長を農作業の目安としていました。晴れた日には、中腹の登山道から黒部川扇状地が一望でき絶景です。黒部川のうねりは、かつての暴れ川の片鱗を見せています。中部山岳国立公園から外れていますが、秋の訪れを満喫できる名座の一つです。