富山湾の夏の味覚に栄螺(サザエ)の壺焼きがあります。栄螺を出汁で含め煮にして、もろみと和辛子を和えます。サザエの旨みに出汁ともろみが合わさり、和辛子の辛味が残暑の暑気を払ってくれます。滞在料理の一皿です。
合わせる地酒は、富山市岩瀬の桝田酒造の「満寿泉大吟醸」です。北前船の寄港地として栄えた、港町に佇む歴史ある酒蔵です。
季節のうつわは、「染付木ノ葉形平皿」です。白磁に染付の藍青色が涼やかさを感じさせます。
2024年7月
衣笠草(キヌガサソウ) ユリ科
衣笠草(キヌガサソウ)は、宇奈月の亜高山の沢沿いに自生する、大型のユリ科の多年草です。
根茎は太く塊茎となり、丸くて太い茎は1本直立し、高さが30~70cmぐらいになります。葉は、茎の先に7~10個、輪生し、倒卵状楕円形で大きいもので長さ25cmにもなります。
茎頂に1花を、上向きに咲かせます。花の色は花弁状で黄白色から淡紅色になり、最終には淡緑色になります。
鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)
7月17日から七十二侯は「鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)」で、二十四節気「小暑」の末侯になります。
春に生まれた鷹の幼鳥が、飛び方を覚える時期で巣立ちの準備をする頃という意味です。鷹は、古くから獲物を捕るための道具として大切にされてきた猛禽類です。鷹狩りの歴史を辿ると約四千年前に中央アジアの平原で始まり、日本へは四世紀半ばに、朝鮮半島を経て伝わって来たと言われています。
江戸時代には鷹狩は武家社会の中に溶け込んでいきます。とりわけ徳川家康はそれを好み、鷹術は一種の礼法と見なされました。家康が好んだ「祢津流」は全国の武家の間に広まりました。加賀藩や分家の富山藩にはこの流れを汲む「依田家」が鷹匠として抱えられ、文武二道を旨とする前田家で鷹匠文化として継承されてきました。武家にとって鷹狩りは、領内視察のほか軍事演習の意味合いもあったので、武芸奨励として受け継がれてきました。
黒部奥山は加賀藩の直轄地で、黒部奥山廻役という制度ができ定期的に調査に入っていました。役人達は鷹や犬鷲の飛ぶ様子で、位置確認や天候の変化を予測しました。今年の梅雨明けは6月28日で、例年より20日早くなりました。梅雨が明けると黒部奥山の空に鷹が高く舞い上がります。いよいよ盛夏の訪れです。